ホーム »  特集ページ »  重黒木 真由美氏

重黒木 真由美氏

profile

  • 宮崎市出身。
  • 1994年、大分医科大学医学部を卒業。宮崎医科大学小児科に入局し、宮崎大学医学部附属病院と県立宮崎病院小児科で臨床研修。
  • 公立病院の医師として宮崎県内各地で勤務。
  • 済生会日向病院を経て、行政医(公衆衛生医師)として宮崎県に入庁後、中央保健所長、高鍋保健所長などを歴任。

現在は、宮崎市の職員として宮崎市総合発達支援センター「おおぞら」で医師として勤務。

医師を目指した理由

重黒木氏1

高校生の頃は化学が好きだったので、理学部や薬学部に進んで研究職に就きたいと思っていました。ある時、友人が言った「人間って外から見たら有限なのに、こんなに分かっていないことが多いなんてすごい」という言葉に共感し、「人間」って研究しがいがあるなと思ったのがきっかけで、研究者として医師になることを目指し、医学部に入りました。解剖は苦手でしたけれど(笑)。

大分医科大学に入ってからは、公衆衛生研究会の先輩に誘われて、毎年フィールドワークのお手伝いをしていました。大分県内の海側と山側に分かれて、塩分摂取量と高血圧の関係を調査するぐらいの簡単なものでしたが。私は海側の班で、佐賀関の海がきれいで、釣りもできるし、魚もおいしくて、地域の方々とお話をしながら調査をしました。その結果が統計データや論文などの形になるのが面白くて、公衆衛生学に興味を持つようになりました。

所属していた剣道部の顧問の先生が糖尿病の専門家で、小児糖尿病のサマーキャンプを主宰していて、こちらのお手伝いにも行っていたんですね。医学生の実習とは違って、病気の子どもと実際に関わって、先生の接し方を間近で見ていて、研究よりも現場で人と関わる方が楽しいなと思うようになりました。その2つの体験が初めのターニングポイントですね。

小児科医を目指したきっかけは、県立大分病院の周産期医療の先生との出会いが大きかったです。大学の医学展で取材担当としてインタビューをすることになり、地域の子どもたちを助けたいという思いや、大分で周産期医療の体制を作り上げたお話に感銘したのが最初の出会いです。その後も研究会に参加しているうちに、小児科医になりたいという気持ちと、具体的なイメージが出来上がってきました。

臨床医として

重黒木氏2

卒業後は、宮崎大学医学部の小児科で初期研修生活を始めました。自分には何が向いているんだろうと悩んでいたところ、大学時代の恩師に「何が向いているかは答えが出ないから、どこだったら頑張れるかを考えなさい」とアドバイスを受けました。先輩たちには大変だよとは言われましたが、子どもたちのためなら、つらくても頑張れる場所ならと、小児科を選びました。

臨床医として、公立病院で10年間勤務しました。臨床医のやりがいは、自分が診断して治療を組み立てた結果、症状に苦しんでいる患者さんが回復していくのを、自分の目で見ることができるというところですね。患者さんのありがとうの言葉や、退院していく姿を見るのは、何より嬉しいものです。

3年目からは、国立病院機構宮崎東病院に勤務することになりました。当時の小児病棟には慢性疾患の子どもたちが50人くらい入院していました。ぜんそくがあって不登校になってしまったお子さんなど、本来は疾患が軽く経過するはずなのにこじれて入院が長引いていたり。その中の一人に、親の虐待を受けていて家には帰せない、病気なので児童養護施設にも受け入れてもらえず、何年間も入院しているお子さんが居ました。本当にお母さんかお姉さんかと思うぐらい懐いてくれたのですが、その子と日々接しているうちに、医療だけでの限界を感じるようになりました。

医療機関に来る前にもっとできることはなかったのかという思いを持ちながら、学校の先生や保健師さんと関わっているうちに、行政医という存在を知り、自分がやりたいことは保健所の中にあるのではと思い始めました。医局の布井教授に相談したところ「誰かに行ってほしいと思っていたところだったので、ぜひ」と後押しされ、県にも保健所の医師として働きたいと相談したところ、大歓迎され、行政医へと転身しました。

行政医(公衆衛生医師)として

重黒木氏3

入庁したのが2005年で、ちょうど新型インフルエンザ対策の準備をしている時期でした。宮崎県内では鳥インフルエンザや口蹄疫が発生しましたし、県外では東日本大震災も起こりました。保健所長会の中で、大規模災害発生時の保健医療体制復旧の議論も行いましたし、災害医療コーディネーターも拝命していました。パンデミック対策や大規模災害の対応、その後のメンタルヘルスの仕組みづくりなど、私が行政医として勤務した10年間は、健康危機管理に関わる機会が特に多い時期だったように思います。

県の保健所が連携を取るのは市町村がメインになるのですが、医師会や薬剤師会、食品衛生協会、場合によっては産業廃棄物処理業者など、地域のさまざまな方たちと関わりがあります。保健所長としては、そのような組織のトップの人たちとの交渉や調整も重要な仕事です。

所内ではマネジメント業務が主で患者さんを直接診ることは少なくなりましたが、保健師さんなどの職員から上がってきた報告を聞いて、対応方針を検討したり、地域全体に対しての啓発を計画したりと、自分たちの考えた企画を地域に浸透させられるのが、地域住民に貢献できるという行政医としてのやりがいを感じるところですね。

再び臨床医として

重黒木氏4

保健所の幅広い仕事にも魅力を感じていたのですが、母子保健に絞って仕事をしたいと知人に相談していたところに、宮崎市総合発達支援センターでの勤務をお願いしたいというお話がありました。初診患者の待機期間が、予約してから実際の診療まで半年以上もかかるような状況でしたし、センター長が昔お世話になった先生というご縁もあって、引き受けることを決めました。

発達障害は、母子保健の分野では避けて通れない問題です。臨床医の時にそのことを知っていれば、もっとうまく対応できたのではという、ちょっとした心残りもありました。

センターの診療は完全予約制なので、あわただしくもなく臨床医としての業務も務めながら、乳幼児検診や発達相談など、宮崎市の保健所での仕事も続けています。発達障害児の支援体制を検討する研究班にも参加しています。

不登校や引きこもりなどのケースの中にも発達障害があるのに見過ごされてしまってきたケースもあると思うのですが、適切な関わりがあれば経過が違うと思います。研究班では、地域の実態調査を行い、自治体と連携して発達障害の人に対して、必要な時期に必要な支援を継続して行うシステムを検討しています。

お母さんたちの「どう子育てしたらいいんだろう」という悩みには、先生たちが最初の相談相手になると思いますので、学校教育に携わる人にこそ正しい知識と対応が必要になります。センターでは保育所や学校の先生などに対して研修や対応のアドバイスを行っています。障害の程度や種類によって支援の形は変わります。必要であれば、作業療法や言葉の訓練を行ったり、臨床心理士が関わることもあります。

発達障害の支援には、医療だけでなく、保健・福祉・教育など、さまざまな分野が関わりますので、行政医時代に保健所で経験した業務の幅広さや、各種団体や組織の会議に出席して得られた情報が、今でもかなり役に立っています。

自分が医療に携わるきっかけでもあり、目的でもある「子どもたちが幸せに笑顔で暮らせる」ためには、何でもするつもりです。今の仕事がちょうど二つのキャリアを合わせたような仕事ですので、これをしっかりと形にしていきたいですね。

女性医師として 母として

重黒木氏5

臨床の現場では、柔らかさや細やかさなど、女性の特性が生かされているのかなと思います。私も小学生2人の子育てをしながら勤務しているので、子どものお母さんと話していると、いろんな気付きや共感を得られることが多いです。

苦労というほどのことでもないですが、これまでの医局の人事などの経験から、女性医師の場合、周りが扱いに困っているのではと思うことがありました。結婚する前でも、途中で辞めちゃうんじゃないかと思われていると感じたことはあります。

私は結婚したのが30代後半だったので、医師になって最初の10年間は時間を気にせず、やりたいことを追求してきました。それはそれでよかったと思っていますが、育児が始まってから、長期間の学会などはさすがに行きづらく、勉強の機会は以前と比べると少なくなりましたね。

子育てはストレスでもあり、ストレス発散でもあり(笑)ですが、やはり楽しいですね。私の場合は、両親や妹が近くに住んでいるので子どもの面倒を見てくれますし、夫も一人目の子どものとき、半年間の育休を取ってくれました。保健所勤務の時も、今のお仕事も、計画的な業務が多いので、学校行事などの時間調整がしやすい職場環境であることも、恵まれていると感じています。

宮崎は人が温かく、仕事をする上で嫌な思いをすることはほとんどないですね。住みやすいし、働きやすいところです。

私は、友人の言葉がきっかけで研究者になりたいと医学部に入り、先輩や恩師との出会いで臨床医になり、その後に出会わなければ存在すら知らなかった行政医にもなりました。これまで、たくさんの人との出会いで、進む方向が決まったり、精神的に支えられたりしてきました。はたから見ると、変わった経歴と思われるかもしれませんが、いつも「子どもたちの幸せ」を軸に考えて、自分に何ができるだろうかと行動してきた結果が、今のキャリアにつながっていますので、全ての出会いに感謝しています。

医師になってからも、これからどうしようと悩む人もいると思うのですが、目の前にあるものに真摯に向き合えば、必ず道は開けるものです。誰かが声を掛けてくれますし、助けてくれますよ。

宮崎で働こう!医師を目指す人へのMessage

宮崎は人が温かく、仕事をする上で嫌な思いをすることはほとんどないですね。住みやすいし、働きやすいところです。

私は、友人の言葉がきっかけで研究者になりたいと医学部に入り、先輩や恩師との出会いで臨床医になり、その後に出会わなければ存在すら知らなかった行政医にもなりました。これまで、たくさんの人との出会いで、進む方向が決まったり、精神的に支えられたりしてきました。はたから見ると、変わった経歴と思われるかもしれませんが、いつも「子どもたちの幸せ」を軸に考えて、自分に何ができるだろうかと行動してきた結果が、今のキャリアにつながっていますので、全ての出会いに感謝しています。

医師になってからも、これからどうしようと悩む人もいると思うのですが、目の前にあるものに真摯に向き合えば、必ず道は開けるものです。誰かが声を掛けてくれますし、助けてくれますよ。

みやざき地域医療応援団に登録する
特集 宮崎県の医師力紹介 パンフレットダウンロード
お問い合わせ

宮崎県地域医療支援機構(事務局:宮崎県医療政策課)
〒880-8501 宮崎県宮崎市橘通東二丁目10番1号 TEL 0985-26-7451
ishishohei@pref.miyazaki.lg.jp