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鮫島 浩氏

年間25万人の外来患者、20万人の入院患者を受け入れる県内医療の最後の砦として、また、県内唯一の医師養成機関としての機能を果たしながら、地域活性化にも取り組む宮崎大学医学部附属病院。2016年より病院長に就任した鮫島院長に、宮崎県の医師の育成についてざっくばらんに語っていただいた。

プロフィール

さめしま ひろし/鹿児島県出身

1981年 鹿児島大学医学部 卒業
1983年 ロマ・リンダ大学 留学(アメリカ合衆国カリフォルニア州)
1986年 鹿児島市立病院
1995年 宮崎大学医学部講師
2011年 宮崎大学医学部生殖発達医学講座産科婦人科学分野教授
2016年 宮崎大学医学部附属病院病院長

専門:産婦人科学、周産期医学、胎児生理学、胎児・新生児医学

宮崎との縁

鮫島 浩氏

鮫島医師は鹿児島大学医学部出身。卒業後は鹿児島市立病院に入職し、日本初の五つ子誕生プロジェクトのリーダーである外西産婦人科部長と、主治医の池ノ上医師(現宮崎大学学長)の薫陶を受ける。

日本初の五つ子プロジェクトを契機に、鹿児島市立病院では周産期医療に重点を置き、周産期母子医療センターを開設。胎児から新生児までを一貫して管理できる高度な医療機関として、日本でワースト3だった鹿児島県の周産期死亡率の改善に劇的な成果を上げた。大学病院ではなく、市井の病院でありながら、NICUを備え、最新鋭の設備に多くの症例、アメリカから最新の臨床教育を持ち帰ってきた池ノ上医師の指導レベルも高く、全国の大学から医師が修行に押し寄せた。

鹿児島市立病院の周産期母子医療センターは地域集約型である。県全域からハイリスクの妊婦が、救急車やヘリコプターで搬送されてくる。最後の砦として、決して患者を断らない。鮫島医師も、そんな環境で忙しく働く日々だった。

「臨床医として十余年、このまま続けていくかどうかを悩む時期でもありました。師匠である池ノ上先生は1991年に宮崎大学に移っていて、宮崎に周産期母子センターを立ち上げようとされていました。そのお手伝いとして、交換派遣のような形で宮崎に来ることになりました。」

鮫島 浩氏

1995年に宮崎大学医学部産婦人科に入職。鹿児島とは全く違う医療環境で、全県下に及ぶ周産期医療体制を整えるプロジェクトだった。宮崎県は南北に長く、当時は高速道路も開通しておらず、ドクターヘリもないという状況で、大学病院へ全ての患者を集約することは難しかった。

「限られた資源をいかにうまく使うかということがテーマでした。もともと、例えば延岡では、県立病院を中心に産科婦人科の医師たちのコミュニティが機能していたということもあり、それをモデルに、二次拠点病院の活性化を利用した体制づくりを進めました。宮崎は市郡医師会病院、都城は国立病院、日南は県立病院へ、医局の医師を派遣して、一次分娩施設の先生たちとつながってもらう。このような仕組みを目指したので、普段妊婦さんが診察を受けている分娩施設から二次拠点病院を経由して、大学病院が三次を引き受けるという医療連携の枠組みが、2~3年で構築できました。」

大学の医局なら、毎年一定数の医師は確保できる。若い医師を鍛えてから送り出すことで、二次拠点病院の活性化と医師の疲弊を防ぐというのが、当時導き出した最適解だった。

「池ノ上先生のもとで宮崎でできることを広げていったら、こういう形になりました。周産期医療体制でも、鹿児島市立病院の集約型と、宮崎での一次二次三次の分散型では異なります。さまざまな社会的要因によって、その地域に合った形に体制化することが重要だと学びました。」

地元愛が医師を育てる

鮫島 浩氏

「地元で働く医師を増やすには、地元の高校から宮崎大学医学部に入学する人の割合を増やすのが大前提です。そして、若い医師たちが宮崎に残りたいと思うシステムをどう作っていくかが課題です。宮崎大学では、県全体を臨床研修のフィールドだと考えていて、大学病院では各診療科で専門的な医療を、一次二次の医療施設ではコモンディジーズを研修します。そこから発展して、救急を24時間やれる環境だったり、地域医療にどっぷり携われる環境だったり、より自由な研修プログラムを提供できるようにしたいですね。」

全県下に及ぶ周産期医療体制を構築する中で生まれた二次拠点病院の活性化というアイデア。大学や臨床研修病院以外でも指導医となるべき人材を輩出し、若い医師とともに成長することができれば、どの診療科でも育成システムが実現できる。そのために必要なのは、地元に対する愛着や誇りだという。

「県民性なのかもしれませんが、『宮崎LOVE』という人が九州の他の県に比べて少ないような気がします。例えば他県であれば、別県の医学部に合格できる実力があっても出身県に残りたいという人が結構いるもんです。熊本にしても、鹿児島にしても、あえて地元の医学部に進学するという『地域LOVE』な人がいるんです。そのような教育が必要なんです。」

鮫島 浩氏

進路選択は、大学進学以前の家庭教育や学校教育が、大きく影響を及ぼす。しかし、実はそこに一つの壁があるという。

「地域の未来を考えるなら、地元に優秀な人材が残ってくれた方が安心だと思いませんか?自分たちを診てくれるのは、その子どもたちの世代なんですから。小中学校で勉強のできる子ほど、東大や京大を目指せというような昔からの傾向がありますが、親や学校の先生が、むしろその志向を強くさせているのではと危惧しています。」

宮崎に残るよりも都会を選ぶという選択肢があることは理解できる。しかし、宮崎で十分な教育や指導が受けられないというのは誤解であり、その解消も課題の一つととらえている。

「医学に関して、大学教育や臨床研修のレベルは、日本全国どこでも、それほど変わるわけではありません。宮崎大学は研究の実績も世界レベルですし、何より研修環境として最高なんです。大学側も、卒業後はそのまま大学病院に残ってほしいと思っているので、卒前卒後に関わらず、シームレスに指導やケアが受けられる制度を整えました。医師と患者との距離も近いし、ポリクリの学生に診てもらいたいという患者さんもいるぐらいなんです。こういう住民のいるところで研修せずにどこでやるんだ!と熱く語って、『宮崎LOVE』を広めていきたいと思っています。」

つながる医療

鮫島 浩氏

現在、宮崎大学では重症の紹介患者が大半ではあるが、救急ではウォークインの一般患者も受け入れており、地域住民のよりどころとなっている。その一方で、医局の人員不足や医師の疲弊が、深刻な問題にもなっている。

「限られた人的リソースをどういうふうに使いたいのか、県民の皆さん自身でも考える時期にきていると思います。宮崎大学には600人ぐらいの医師がいるので、全員を県内の全地域に派遣すれば、おそらく地域の医師数は充足するでしょう。その一方で、宮崎の大学病院に医師がいないと、重症患者が出たときに近隣の大きな病院に搬送するしか手段がなくなります。県民はそれを本当に望んでいるでしょうか?そうではないと思います。」

まさに、周産期医療体制と同様に、全ての診療科で広域医療連携の仕組み(分散化)を目指している。

「例えば、県立日南病院の医師が中心となって、南那珂地域の小さな病院や診療所の医師とつながることで、そこで診ている患者さんは、日南病院の医師とも、さらには宮崎大学の医師ともつながっているという考え方です。」

宮崎大学の診療科が持っているネットワーク、県立3病院などをはじめとする中核病院のネットワーク、地域の開業医が持つ独自のネットワーク、それぞれ違うネットワークを有機的につなげるためには、患者の搬送を断らない、あるいは最終搬送先まで責任を持つことが前提だと考えている。その象徴として、救急医療体制が挙げられる。

「救命救急センターには、救急や全身管理を学びたいという医師が集まってきています。特に、若い医師にとっては、目の前で人が倒れたのに自分が何もできないというのが嫌なので、自分で助けるか、せめて鑑別はつけたい。だから、学びたいという強い動機につながる。彼らが実力をつけて、全県下で活躍すれば、県全体の救急のレベルは上がりますし、大学との連携もより充実します。」

鮫島 浩氏

救命救急センターの開設とドクターヘリの稼働から5年、県民の認知も進み、多くの人命を救ってきた。

「実は、ヘリポートの建設にあたっては、ドクヘリの騒音を心配して、病棟の窓を二重にしました。今まで、クレームは1件も入っていません。逆に、あの音を『また誰かが助かる』と祈るような気持ちで聞いていたり、『自分の病気を治す励みになる』と受けとめる患者さんもいるようで、心理的に良い効果もあるようです。」

地域社会のニーズに応えるためには、かかりつけ医と救命救急という両輪の医療が必要であり、宮崎ではそのための人材育成を数年前から行っており、現在は実践段階にある。かかりつけ医としての活躍が期待される総合診療医の重要性も徐々に理解されてきている。その一方で、最後の砦である救命救急センターが満床で受入不可にならないように、急性期を乗り越えた患者さんを、大学病院の他の診療科や地域の病院に移して、予後の管理を任せる必要がある。

「普段は一般的な病気や慢性疾患を診ながら、救急対応もできるという総合診療医に注目が集まっています。吉村先生(宮崎大学医学部地域医療・総合診療医学講座教授)の下では、日南や田野を研修フィールドとして若手の総合診療医を育てています。へき地医療に携わりたいという医師も増えています。いざというときに、ドクヘリや救急車が出動して、県立病院や救命救急センターに搬送できるというバックボーンがあるから、たとえ離れた地域で、1人や2人体制の診療所であっても、安心して働くことができるんです。」

医師としての気概

鮫島 浩氏

ある外科医の一日を例に挙げる。手術の日は、前日の夜も、翌日の朝も食事を少量に控え、水分もほとんど取らずに臨む。朝9時から手術室に入り、夕方まで、時には夜中まで続く手術もあるが、トイレにも行かず、食事も取らず、シャツも着替えない。手術を途中で止めるわけにはいかないからだ。

「医師という職業も多様化して、働き方や労働条件、ワーク・ライフ・バランスを考えようという時代の向きもありますが、その全てに賛成しているわけではありません。医師として、患者さんにリスクを負わせることは許されないので『お昼は1時間休憩を取らなきゃだめ、夕方5時になったから手を止めなければだめ。』などできるはずもありません。自分を犠牲にしても患者さんの命というプライオリティを確保しなければいけない時間がある。それを分かった上で、ライフ・ワーク・バランスを語らないと、職業倫理や責任感の低い医師になりかねない。われわれは、医業は犠牲を払うに値するプロフェッショナルなんだという、崇高な意識を忘れずに日々の医療に携わっています。」

医師を育てる機運

鮫島 浩氏

まだまだ医学教育でやるべきことは多い。診察や手術の知識・技術はもとより、医師としての倫理や哲学、社会人としての身だしなみや言葉遣いからはじまり、医師同士やコメディカルとの医療連携だけでなく、地域包括ケアのように福祉や介護との連携など、さまざまな医療ニーズに合わせた教育も担っている。

「最も難しいのがコミュニケーションの教育で、医学知識を教える方がずっと楽です。医療訴訟も、医療ミスというよりもコミュニケーションが原因のことが多いです。『あの先生の、あの看護師の、あの一言が許せない』という患者さんや家族の感情の問題で訴訟になったりもするんです。昔の医局では、先輩医師から患者さんとの付き合い方を本音で勉強する機会がありました。今はその機会が減ってしまいました。これを教育で補うというのは、なかなか難しくなりました。」

指導する側の方法論や体制も進化している。指導医がコーチングを学び、手技のトレーニングだけでなく、研修医のメンタルケアにも取り組んでいる。

「大学病院の強みは、優れた専門家がいるということと、教育機関なので若い人材を輩出できるという点です。この両者を有機的につなげていくことが、これからの課題です。いまや、学生もスチューデントドクターとして臨床現場に出ていますし、研修医もこれから自分が進む診療科を見定めようとローテーションしています。大学病院だけでなく協力型の病院も含め、さまざまな環境に身を置く中で、ただの労働力としてしか扱われなかったとしたら、そんなところで将来働きたいとは思いません。指導する側の熱意は必ず伝わります。ここで一緒に働く人を育てるんだという気持ちで、研修医を受け入れてほしいですね。」

医師を育てるのは、大学病院だけではない。地域で医療を考える取組みも県内各地で始まっている。延岡市の「地域医療を守る条例」でのコンビニ受診の抑制に始まり、西諸の「地域医療を考える会」での産科医確保や健康づくり、日南串間の「入退院調整コンセンサスブック」による在宅医療の推進など、医療に関する市民活動の大きなうねりが生まれている。

鮫島 浩氏

「地域には医師がいて、医療システムがあって当然と思っている人が多いです。もちろん、それを維持するのもわれわれの役割ですが、簡単なことではなく、限られた資源をうまく使わなければいけません。医療は生活のための社会基盤であり、地域資源です。いかに育てて、いかに大きくするか、地域住民と一緒に考えていく時代です。患者さんに『ありがとう』と言ってもらえるだけでも、若い医師の自信とモチベーションにつながります。地元に医師に向いているお子さんがいれば、例えば自治体で学費を援助して、将来、この地域の医者になってねって励ましながら、地元の医学部に送り出したっていいんです。そのための入学枠なら宮崎大学は作りたいと思います。優秀な子どもたちを大学で受け入れ、地域の社会基盤を支える人材を、地域全体で育てるという機運を盛り上げて、自分たちが安心して暮らしていける地域を作っていくことが重要です。」

医師を目指す人へのメッセージ 「よそ者・変わり者・若者」の存在こそ大事にしたい

宮崎の研修環境はものすごくいいのに、充分には伝わっていないんですよね。有名な研修病院を見てみたいという気持ちも分かります。でも、教育カリキュラムとしてやっていることの95%は同じです。むしろ、もっと広く視野を持ってみてはどうでしょうか?初期の研修後、アメリカでもドイツでもいいですが、日本でまだ導入されていない最新の医療を学んで、それを宮崎に持って帰ってきてください。宮崎大学病院では、全ての診療科にわたって、その環境を作りたいと思っています。

大学病院としての標準的な臨床教育は満遍なく行い、その上で何か「とんがったもの」や、「きらきら光る特色」を作っていきたい。一時はその役目が産婦人科でしたし、今は救命救急センターや総合診療が人気です。将来にわたって、それぞれの診療科がトップランナーとして入れ替わりつつ、病院全体が新陳代謝されていくような刺激が必要です。そのためには「よそ者・変わり者・若者」の存在こそ大事にしたい。何か変わったことをやり始める人が現れて、それに引っぱられてメインストリームが変わっていく。そんな人も活躍できる環境を作っていきたいと思います。

医師を目指す人へのメッセージ 「よそ者・変わり者・若者」の存在こそ大事にしたい

宮崎の研修環境はものすごくいいのに、充分には伝わっていないんですよね。有名な研修病院を見てみたいという気持ちも分かります。でも、教育カリキュラムとしてやっていることの95%は同じです。むしろ、もっと広く視野を持ってみてはどうでしょうか?初期の研修後、アメリカでもドイツでもいいですが、日本でまだ導入されていない最新の医療を学んで、それを宮崎に持って帰ってきてください。宮崎大学病院では、全ての診療科にわたって、その環境を作りたいと思っています。

大学病院としての標準的な臨床教育は満遍なく行い、その上で何か「とんがったもの」や、「きらきら光る特色」を作っていきたい。一時はその役目が産婦人科でしたし、今は救命救急センターや総合診療が人気です。将来にわたって、それぞれの診療科がトップランナーとして入れ替わりつつ、病院全体が新陳代謝されていくような刺激が必要です。そのためには「よそ者・変わり者・若者」の存在こそ大事にしたい。何か変わったことをやり始める人が現れて、それに引っぱられてメインストリームが変わっていく。そんな人も活躍できる環境を作っていきたいと思います。

宮崎県地域医療支援機構(事務局:宮崎県医療薬務課)
〒880-8501 宮崎県宮崎市橘通東二丁目10番1号 TEL 0985-26-7451
ishishohei@pref.miyazaki.lg.jp