京都府出身、1995年宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)卒業。宮崎大学医学部附属病院にて研修後、都城市郡医師会病院、都農町国民健康保険病院を経て、1999年より宮崎大学医学部附属病院小児科勤務。
日常診療に根ざした臨床データを以て、小児科学の質の向上に貢献したいと大学院医学研究科へ進学、臨床と研究と後進の指導に勤しむ日々。
専門分野:内分泌・代謝
「医師というよりも小児科医になりたかったんです。」
小学5年生の授業中に聞いた賽の河原の説話が、今でも心に深く刻まれている。「人はいつかは死んでしまうものだが、この世の中で最も不幸なのは親よりも先に子どもが死んでしまうことだ。子どもは死んではいけない。」
子どもを失った親の悲しみは計り知れない。そんな悲しみを世界から無くしたいと思った。小児科医としてのキャリアのきっかけはそこにあると語る。
医学部卒業と同時に小児科に入局。
当初は、生死に関わる血液腫瘍、いわゆる小児がんの分野に進みたいと思っていた。
「当時のメンターが内分泌・代謝の専門でしたので、当然その分野の疾患を診る機会も多く、自然に興味が傾いていきました。2年目の時点で自ら専門として宣言し、若手医師向けのセミナーなどにも積極的に参加させてもらいました。」
子どもの成長や発達の障害となる原因には、遺伝など先天性のもののほか、ウィルス感染や環境ホルモンによる影響など多様で、小児科学の診断や治療技術は分子生物学的解析手法も取り入れ、先駆的な研究対象になっている。
「医療のレベルが上がっていて、学ぶ範囲や覚えるべき知識もずいぶん増えています。今の研修医の先生方は、日々それをこなしていっているのですから、僕らの時代よりも求められているものはかなり多いと思います。ただ、実習制度やリスクの問題もあって、当時に比べると臨床現場において制限されている事は多いです。細かいところまでマニュアル化されていたり、何をやるにも上級医の許可を必要としたりと、研修医が自分の裁量で検査・診断・治療をやれる場面がほとんどない。自分の考えで治療方針を組み立てる機会が無くなっているのは少し気の毒ですね。」
医療事故を無くし、患者の利益を最大限に優先するのは当然としながらも、全ての解答が揃っていることが逆に医師としての成長の妨げになるかもしれない、と現状を危惧している。
「若い先生方の、早く技術的な正解を覚えたい気持ちもわかりますが、医療人として患者さんに対するスタンスの取り方を身に付けられなかったり、責任感が薄れていってしまうような気もします。マニュアル通りに教われば、確かに正解は身に付くかもしれませんが、指示された以外に方法がないのかという疑問を持たずに進んでいってしまうかもしれない。上級医の指示だから、と自ら考えないような医師にはなって欲しくないんです。」
「僕が医師になって4年目の時にメンターの先生が海外に行ってしまわれたので、その時点から専門の外来を担当せざるを得ませんでした。やはり当時は、自分のやっていることが正しいか不安でしたので、東京から特別講演で呼んでいた先生にもお願いして、診察室まで来ていただき、患者さんのカルテを山積みにして、この患者さんのこの部分が分かりません教えてください、と一晩中質問し続けていたことを思い出します。」
指導医になったばかりの頃は、手取り足取り教えるという指導法を採っていたが、それでは研修医本人の持っているポテンシャルを十分に伸ばせないのではないかという反省があった。そこで指導方針を変え、研修医自らが判断して、責任の持てる環境を整えたいと考えている。
「基本的には、研修医の先生の主義・主張を尊重するようにしています。例えば、1型糖尿病の患者さんへのインスリンの投与ひとつとっても、今日のお昼に、また夜に、どれくらいの量を注射すればよいか、あなたはどう思う?と問いかけ、理由も尋ねる。この患者さんには何単位投薬ね、と直接の答えは与えずに、本人からの治療方針の提示を待って、よっぽど間違っていなければ、その方向で実施してもらうようにしています。」
医師として10年、ようやく自分のやっていることに自信が持てるようになってきたという澤田医師。実際の症例を検討するカンファレンスを定期的に開催し、内分泌分野を専門にしたいという若手医師も集まって来ていて、実際に小児科医を目指す医師は増えているという。
「大学の医局に限れば、毎年3~4人が入局していますし、以前と比べると数的には充実してますね。ただ、医療も進歩して細分化している分、まだまだ手が回っていない部分もあります。」
宮崎大学では、少し上の世代が後輩を教え育てるという、屋根瓦方式の教育をモットーにしており、近年その効果が顕著だという。
「医局に入ったすぐ上の先輩たちが意欲的に働いている姿をキャリアモデルとしているんですね。憧れる存在が身近にあることがとても大きいと思います。初期研修でローテーションでやってくる先生たちも優秀な人が増えたなという印象を持っています。新研修医制度が始まった頃は、医師としてどうだろうという人も中にはいたのですが、卒後研修に携わっている小松先生たちが、研修医の細かいトラブル等も上手く取り扱われているんでしょうね。ぜひこのまま続けていただきたいです。」
と、卒後臨床研修センターへの期待も高い。
「昔は自分のことで精一杯で、その中でも自身のスキルアップにやりがいを感じていたものですが、ここ最近は、若手が育つのを見るのが楽しみになってきました。ようやく自分でも、これまでやってきたことを伝える時期になったのかなと思います。」
小児科医の仕事にとって、一つの関門となるのが、親も含めて説明や説得をしなければいけないこと。研修医のコミュニケーション能力を育てる良い手法はあるだろうか?
「今は、自分が年齢を重ねたということもあり、親世代が自分より年下になってきてますので、患者さんからの信用度や説得力は自然と上がってきますよね。ただ、当時は30歳そこそこだった私が、突然、上の先生に代わって主治医になったわけですから、親御さんたちの不安を払拭するには、思っているだけではなくてやはり熱意を形にして見せるしかありませんでした。患者さんの家族も含めて良く話を聞き、症例について調べて、それをきちんと伝えるということを繰り返して、ようやく信頼してもらえるようになりました。」
子どもを育てる環境も大きく様変わりしている。昔は祖父母との同居や地域のコミュニティで、子どもの病気や成長具合を相談をする相手が身近にいたが、今は核家族世帯が増え、相談する相手に恵まれない環境となっている。病院しか拠り所がないとなると、医師の負担も増える。
「親が授乳や離乳の時期が分からずに、成長障害になってしまっている子どもも最近よく診るんです。インターネットでいくらでも情報が調べられる社会になっているのに、子どもを育てる一般的な知識が不足しているのは、実際に子どもを育ててきた自分の親からの情報がないからなのでしょうね。子育て世代同士のコミュニティもなかなか見つけにくいようです。」
新しく足を踏み入れる研修医だからこそ思いつける発想や可能性に期待している。
「研修医には専門性を深めるためにも、語学、特に英語能力を伸ばしておくことを勧めます。小児内分泌学の分野は、日本だけではなく世界的なセミナーや学会がありますので、論文を読むなり海外の医師と交流して知見を広げるなり、積極的に参加してモチベーションを上げてもらいたいです。」
九州管内の大学間の連携も視野に入れている。熊本大学・大分大学・宮崎大学共同で、『中九州三大学病院合同専門医養成プログラム』を2013年まで3年間実施。医局同士の人材交流にも積極的に取り組んできた。現在このプログラムは終了しているが、何らかの形で他大学との交流を小児科間で再開したいとの構想を持っている。
「小児科の専門分野は細分化されていて、一つの大学ですべてを網羅しているわけではありません。例えば、大分大学にはアレルギーの専門の先生がいらっしゃいますし、私も他大学で、若手の研修医向けに内分泌・代謝のレクチャーをしました。一定の期間、他大学で、自分の大学にはない専門領域の研修を受けて、県内でも立ち上げられるようになれば、難病の患者さんの治療も地域完結型で提供できるようになると考えています。」
最初に亡くした患者さんは小児がんのお子さんで、ターミナルケアで最期まで診させてもらいました。
僕が心肺蘇生している隣でお母さんが、「先生も頑張ってるんだからあなたも頑張って」と声をかけ続けていたのは今でも鮮明に覚えています。
脳性まひのお子さんのお母さんたちと話すと「生まれ変わってもこの子の親になりたい、この子が生きているだけで幸せなんだ」とおっしゃるんですね。
お母さんは強いです。
医師としては、その思いに応えたい。小児科の医療に要求されるレベルは高いけれど、それは親としては当たり前ですよね。
宮崎の人の県民性と言っていいのか、患者さんも素直に医師の言うことを聞いてくださいますし、自分の畑で採れた野菜や果物を持って来てくださる方もいたり…、古き良き患者と医者との関係が残っていて、患者さんに近いところで診療が出来るというのは、都会の大病院にはない魅力です。
小児科は大学病院で抱えている患者が膨大になっている状況もあり、2次医療体制の整備が急務です。各拠点病院での完結型医療の提供が、若手医師が活躍できる場を増やすことにも繋がります。今の若手はその素質は十分に持っていると感じますので、あとはどういう風に能力を伸ばしてあげられるか、ですね。大学病院の負担も分散され、より充実した研修も可能になります。
少子化の時代と言われるようになって久しいですが、その分、この世に生を受けた子どもは、生まれてくることを望まれた存在なのです。小児科医はそんな子どもたちの代弁者でもあります。生まれてきたことを喜び、成長を楽しみ、とくに宮崎は子育てに向いている土地柄なので、小児科医としてのやりがいも十分感じられると思いますよ!