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長嶺 育弘氏

プロフィール

県立延岡病院
救命救急科・救命救急センター長
長嶺 育弘(ながみね やすひろ)

宮崎市出身、日向学院高等学校卒業。2005年、大分大学医学部卒業後、県立宮崎病院で、現センター長の落合教授や金丸勝弘指導医をメンターに臨床研修。3年目からは宮崎を離れ、聖路加国際病院、公立豊岡病院等で救急医としての研鑽を積み、2013年に宮崎大学医学部附属病院救命救急センターにフライトドクターとして合流。県立宮崎病院、県立延岡病院の救命救急科を渡り歩き、救命救急センターのリードオフマンとして、ドクターヘリの受け入れやドクターカーの導入を牽引。

【専門分野】救急科専門医、航空医療学認定指導医、社会医学(災害医療)専門医

宮崎大学医学部附属病院救命救急センターから、県内の中核病院の救命救急科・救命救急センターの立ち上げメンバーとして派遣されるドクターヘリ・ドクターカーのプロフェッショナル。宮崎県内唯一の救急車型ドクターカーは年間300件以上の稼働実績。県北の救急車を補完し、救急隊とともに病院前診療のレベルアップに全力を注ぐ。


救急医療との出会い

宮崎で働くことは決めていたので、卒業後、県立宮崎病院で研修をスタートさせました。当時、脳外科には落合教授(現 宮崎大学医学部病態解析医学講座 救急・災害医学分野教授、医学部附属病院救命救急センター長)がいらっしゃって、自主勉強会の顧問をお願いしたり、直接の指導医がドクターヘリの宮崎導入に尽力された金丸勝弘先生(現 宮崎県立延岡病院 救命救急科 部長)だったこともあり、その関係性が今に繋がっていることは、私にとって非常に幸運だったと思います。

研修を終えた時点では、救急科志望というより、緊急性の高い疾患や外傷患者に対応できる医師になりたいと、整形外科や外科、心臓血管外科など、外科の中でどれを専門にしようかと迷っていました。

救急医療に進んだきっかけは、バイクの交通事故で運ばれてきた方がお亡くなりになったことです。多発外傷の患者さんで、複数臓器を同時に管理する全身管理が必要な方だったと思います。その方が、亡くなられたことで、全身管理をしっかりできるようになりたいとの思いが芽生え、全身を診られる救急医を目指しました。今なら助けることができるようになったかもしれません。

当時は、宮崎県内の救急医療の研修体制は、充実していないと感じていました。宮崎県内でもER型研修が可能なところはありましたが、一次、二次、三次救急医療の全てを研修できる病院はなく、私と同年代で救急志望の先生方は、多くが県外に出ていたと思います。

3年目から専攻医として研修を行った東京の聖路加国際病院では、多くの事が宮崎と異なり、研修先に選んで良かったと思います。私が2年間勉強してきたことが、数ヶ月で全て経験できるぐらいの量と質だと感じました。集まってきている初期研修医の先生方も優秀でしたので非常に刺激を受けました。

都会の救命救急センターですので、1日平均100人ぐらいのウォークインの患者さんが来院され、ゴールデンウィークや年末年始などは200人以上来院される場合もありました。全員が重症というわけではないですが、救急車も1日50台近く受け入れたこともあり、相当な経験を積むことができました。病棟管理では、心肺停止、急性薬物中毒、脳卒中、敗血症など内因性疾患の対応を中心に、全身管理・集中治療管理を学びました。

一方で、病院前診療や外傷は経験が乏しかったので、ドクターヘリや外傷の診療や手術を学びたくて、兵庫県の公立豊岡病院(但馬救命救急センター)に移りました。北近畿で唯一の救命救急センターで、軽症から重症まで全ての患者さんを受け入れて、24時間365日体制で、初療・手術・集中治療を救急医が一貫して対応していました。この但馬地域においては、他に救命救急センターがないため、ドクターヘリで広範囲をカバーし重症な患者さんを集約し、救急医療をおこなっていました。同じ救急医療でも全く別の診療体制で、ものすごく勉強になりました。

宮崎に戻るきっかけ

宮崎に戻ってきたのが、2013年の4月です。宮崎大学医学部附属病院の救命救急センターが開設されたのが、2012年の4月なので、ちょうど1年遅れで合流しました。

救命救急センターとドクターヘリの導入に向けて、池ノ上克病院長(当時)が主導されて、金丸先生が精力的に動かれているのを、県外にいながら聞いていましたし、落合教授にも常に気を掛けていただいていて、私もいつかはそこに加わりたいと思っていました。

もともと宮崎で救急医療をしたいと思ってはいたので、宮崎大学医学部附属病院の救命救急センターが立ち上がったことで、これまでのキャリアを生かして宮崎で働ける環境を作っていただけたようで、県外にいた私には非常にありがたかったです。

私自身は医師9年目にして、初めて宮崎大学医学部附属病院に足を踏み入れるという新たなチャレンジでもありました。最初は、大学の救命救急センターの診療に慣れるだけでも大変でしたが、2013年3月にドクターカーの立ち上げを目的に、県立宮崎病院に異動となりました。雨田先生の下で、ドクターカーを含めた病院前診療のシステム作りを自由にやらせていただきました。研修医の頃にお世話になった病院の新しいシステム作りに貢献もできて、良いタイミングで良い役割をいただけました。

但馬救命救急センターの上司からの受け売りですが、救急医療は、地場産業だと思っています。救命救急センターも救急医も、それぞれの地域に求められる形に進化・変化しないといけません。都心の聖路加病院と北近畿の但馬救命救急センターでも、それぞれ救急医療の在り方が大きく異なっていました。

宮崎市内であれば、大学病院があり、県立宮崎病院も宮崎市郡医師会病院もあるので、疾患や重症度によって集約と分散をする形となります。延岡は、疾患・重症度関係なく、集約だけとなりますので、それに対応できるように我々救急医は変わっていく・常に成長していく必要があります

延岡の救急医療の進歩

私たちの救急チームは、2017年に県立延岡病院に派遣されてから、約6年を掛けて、県北地域全体の救急医療の基礎固めに取り組んできました。医師だけではなく、看護師、救急隊員の方々も含め、延岡では、こういう救急医療を提供したいと、段階的にレベルアップしてきたと思っています。今、ようやく私たちが目指す救急医療・システムが根付いてきていると日常の診療から感じております。

前任者の先生が一人で一生懸命守ってこられた救急医療を引き継ぐところからスタートしたのですが、延岡の「地域医療を守る会」の方々の活動に代表されるように、地域全体として医療者に負担をかけないようにするとの考えが浸透しており、かなり着手しやすい環境であったと思います。近隣の二次救急告示病院や延岡市医師会の先生方も、県立延岡病院を最後の砦として、負担を掛けないよう配慮いただいています。

県北エリアで求められる救急医療とはなにかを考え、県立延岡病院で導入したのが、宮崎県内唯一の救急車型ドクターカーです。通常の救急車には載せていない、今まで持っていけなかった医療資機材、たとえば人工呼吸器などを使いながら、搬送中も移動しながら患者さんの治療を行う、より高度な病院前診療が提供できるのが最大のメリットとなります。それ以外にも、搬送能力の強化も目的でした。県北エリアは県央エリアと比べると、面積あたりの救急車の数が少なく、搬送可能なドクターカーを導入することで、救急車を補完する事ができると考えました。

ラピッドレスポンスタイプのドクターカーであれば、患者さんを運ぶ救急車は別で確保しないといけませんが、救急車型ドクターカーの場合は、1台分の搬送能力が増えて、消防力の強化にも繋がります。

必要性を訴え続けていたら、寺尾病院長(現 県立延岡病院 病院長)・落合教授・宮崎県庁の方々にお力添え頂く事ができて、救急車型ドクターカーの導入が実現しました。行政の方々と一緒に仕事をすることの重要性も認識しました。

救急車型ドクターカーの導入にあたっては、それ以前に、延岡市消防の緊急車両にて病院に医師・看護師を迎えに来て頂き出動するというピックアップドクターカーを3年間(2018年4月〜2021年3月)運用してきました。その効果もあり、救急車型ドクターカーは、稼働1年目の2021年度から340件出動があり、地域にとって欠かせない救急医療システムになりつつあると感じています。

将来的には、ドクターヘリを県立延岡病院に導入することが出来ればと願っています。航空医療学会でもドクターヘリの適正配置の話は取り上げられますが、九州全域をドクターヘリ基地病院から半径50キロ圏内でカバーするとなると、ちょうど宮崎県北部が空白地帯になります。

ヘリコプターとフライトドクターがいればすぐに導入できるわけでもないですし、病院全体での取り組みが必要ですので、簡単な話ではありませんが、救命救急センターの力は一定のレベルまで到達したと思えますし、さらに金丸先生が赴任されたので、より強力な体制が構築できれば、実現可能になる話だと思います。


救命救急を目指す方へ メッセージ

救急は医療の原点だと思っています。患者さんの訴えとバイタルサイン、身体所見で判断して処置することは、どんな医師にとっても必要な基本の部分です。

医学生や研修医の先生の中には、救急に対して苦手意識や、怖いという印象を持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、私は救急医になれない医師はいないと思っています。誰でも、ある程度基本を修練さえすれば、しっかりと実力を身につけることができる分野ですので、努力を続ければ、きっと輝ける場所になると信じています。

救急医は、院内での診療やドクターカー・ドクターヘリでの病院前診療を行うだけでなく、救急隊の方々の活動方針などを決めるメディカルコントロールも重要な役割です。地域の救急隊の皆さんの活動方針作成に関与することで、自分自身が直接診療しない場面でも、地域に貢献できる非常にやりがいのある仕事だと感じています。

救急を学ぶ医師が増えることで、宮崎県全体の医療の底上げにも繋がります。全身を診れる医師を一人でも増やしたいので、少しでも興味がある方は、たとえ救急医にならないとしても一度は学んで、救急を知る専門医として、救急医療を支える仲間になってほしいなと思っています。



宮崎県立延岡病院

所在地: 〒882-0835 宮崎県延岡市新小路2-1-10
電話: 0982-32-61810982-32-6181
URL: https://nobeoka-kenbyo.jp/


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宮崎県地域医療支援機構(事務局:宮崎県医療政策課)
〒880-8501 宮崎県宮崎市橘通東二丁目10番1号 TEL 0985-26-7451
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