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長野 健彦 氏

プロフィール

宮崎大学医学部附属病院
救命救急センター 医局長
長野 健彦(ながの たけひこ)

宮崎市出身、宮崎南高等学校卒業。2004年、山口大学医学部卒業後、新臨床研修制度の1期生として、宮崎大学医学部附属病院卒後臨床研修センターに所属。3年目より救急専攻医として、宮崎善仁会病院・沖縄県立中部病院で雨田医師に師事。ER型救急を学ぶ。2012年、宮崎大学医学部附属病院の救命救急センターの開設時に入局し、医療人育成支援センターではシミュレーション教育を学ぶ。宮崎市郡医師会病院で救急科創設に携わった後に、大学に帰還し、2022年より現職。

【専門分野】救急科専門医

医局長として、地域の中核病院で救命救急医療を担う専従チームを編成するコーディネーターであり、救急専攻医のトレーナー。宮崎大学医学部の救命救急センターには、救急車のカットモデルや救急シミュレーション室があり、病院前救急診療から初期治療や救命処置まで、シミュレーション機器を利用した再現性の高い教育を推進している。


救急医療との出会い

2004年の新医師臨床研修制度により、2年間の初期研修が必須になり、救急科の研修でローテートした善仁会病院で指導していただいたのが、当時、宮崎でER救急を始めていた廣兼先生と雨田先生です。二人との出会いが救急への入り口になりました。でも、たった3ヶ月では全く手応えが感じられませんでした。
もともと小児科志望だったのですが、最低限、目の前で誰かが倒れた時に、子どもだけじゃなくて大人も助けられるような医師になりたい、その自信を少しつけてから小児科に進もうと思い、もう1年間だけ救急を勉強しようと、善仁会病院の救急総合診療部に入りました。
今考えると、1年間だけというのも、とんでもなく甘い考えでしたね。救急の勉強が1年で終わるわけもなく、救急の修行が楽しくなって、どんどんのめり込んでいきました。雨田先生を追いかけて、沖縄県立中部病院で本格的なER救急の現場を経験し、宮崎に戻る際も善仁会病院しか選択肢にありませんでした。
今のような宮崎県全体での救急医療の取組みが始まる前は、民間病院が救急医療を頑張って支えていて、なかでも善仁会病院が一番活発だったんです。
2012年に、宮崎大学医学部附属病院に救命救急センターが開設され、同時にドクターヘリも導入されるという話を聞き、フライトドクターへの憧れも出てきたときに、誘いの声をかけていただいたのが白尾先生でした。
救急医療には、ER型救急と、もうひとつICU型というか、集中治療まで担う救急医療があり、3次救急の様々な重症患者の対応ができるのは、宮崎だと当時は大学病院だけでした。ここでしっかり学んで救命救急医としてキャリアアップをしたいというのが、救命救急センターに入った最大の動機でした。

宮崎救急医療の10年

落合教授を筆頭に医師8名で始まった、救命救急センター開設とドクターヘリ導入の2大プロジェクトでしたが、ものすごく良いスタートが切れました。救命救急センターに重症の患者さんを集約出来るようになり、ドクターヘリの運行も順調で、本格的な三次救急として機能している実感がありました。要請件数は、年間450から500件の間で安定しています。
大学の救急科としては、大学内にドクターヘリがある効果は絶大で、医学生が実習で触れることで、救急医療が身近になり、医局にも人が集まりやすくなりました。毎年一定数、研修医が救急科専門医を取るために入ってくる流れもできて、マンパワーが2倍3倍と増えたのが一番大きいですね。それもあって、救命救急センターで経験を積んだ救急医を地域の拠点病院へ派遣することができるようになりました。導入当初は大学病院へのUターン搬送がほとんどでしたが、年々Jターン搬送の割合も増えています。
大学からヘリを飛ばして、フライトドクターの重症度の診断によって、患者さんを大学以外の、地域の拠点病院に搬送することをJターンというのですが、運び先の候補が増えたので、比較的軽症であれば地域の医療機関にお願いし、大学病院にはより重症な患者さんを集める、という大学病院と地域の拠点病院との役割分担の連携も取れるようになりました。
この10年間で、拠点病院のリニューアルでヘリポートやICUができたり、県立宮崎病院や県立延岡病院がドクターカーを導入したりと、各地域で救急医の活躍する場が増えたので、大学だけではなく、宮崎県全体の救急のレベルも上がってきたと思います。

拠点立ち上げの心得

県立宮崎病院、県立延岡病院、都城市郡医師会病院、宮崎市郡医師会病院、小林市立病院など、拠点病院の救急医療の立ち上げや支援には、救命救急センター所属のスタッフが様々な形で携わっています。救急医を派遣するのですが、「私たちが来たからもう大丈夫」なんてことは絶対になくて、むしろ救急医療を開始することで、病院には負担を強いることもあります。
だからこそ導入時には慎重に、私たち救急チームは勝手に暴走したりしないですよ、みなさんが対応できる準備ができてから受入れをはじめますよ、とアピールしながら、他科の医師や看護師さんたちの通常業務にも配慮しつつ、救急の勉強会を開催したりと、慣れるまでは徐々に環境を整えていきます。
救急科単独では成り立たないのが救急医療です。救急車で運ばれてきた患者さんを蘇生治療で安定化させたら、病院内のいろんな科にコンサルトして、一緒に治療をしましょうとお願いすることもあります。全ての病気や怪我を救急科内で完結することは到底できないし、他科の先生たちとの連携が前提なので、熟練した救急専門医を選抜して派遣しています。白尾先生や長嶺先生クラスのベテランの先生方です。

今後の課題

今後は外傷対応を強化していきたいです。いわゆる交通事故とか転落とか、特に宮崎は林業での事故も多いので。
大学病院では、外科、整形外科、脳神経外科等の先生方の全面的な協力もあって、救命救急センターでの外傷死亡率はかなり下がり、着実に進歩してきたと思います。次の段階としては、派遣先の中核病院を充実させるために、救急科でもある程度の外傷に対応できるような人材育成のシステムを構築できないかと思っています。
外科の河野先生が救急科の外傷対応をリードしてくださっていることもあり、宮崎に外傷外科のコースを作りたいねという話もしています。救急科の専攻医の中で、外傷の手術や治療を勉強したい人は、外科で修練できるという仕組みが作れれば、救急科からも外傷外科の人材を輩出できる環境ができるかもしれないと考えています。
もうひとつは、集中治療専門医の資格を取得出来るようにすることです。救命救急センターで日々僕たちが対応している全身管理が、まさに集中治療なのですが、資格取得には施設基準や安全管理面のクリアも必要ですので、その環境を整えることができたら良いなと思っています。
資格が取れるようになれば、集中治療の経験を積みたい人も増え、ICUもさらに安定するでしょうし、ここで成長した人材を、人の足りない病院に追加派遣することも可能になります。今、拠点病院の救命救急センターや救命救急科で勤務している先生方は、ものすごい激務の中で地域の救急医療を維持しています。延岡も都城も、宮崎市内である県立宮崎病院ですら、十分に人が足りているとは言えないのです。
県南に至っては、まだ救急科専門医すらいない状況で、内科や総合診療科の先生方が地域の救急医療を支えています。日南や串間に飛んだドクターヘリは、大学へのUターン搬送率も高いので、将来的には県南にも大学の救命救急センターから救急チームを派遣できるようになったら、宮崎県全体の救急医療がもっと安定するでしょうし、地域住民の安心感にもつながっていくと思います。

地救命救急を目指す方へ メッセージ

理想としては、「患者さんから逃げない医師」になってほしい。目の前に何らかの訴えがある患者さんが来た時に、逃げることなく自らファーストタッチできるのが救急医の強みです。ドクターヘリやドクターカーの病院前救急も経験してみると面白いですよ。病院の中で接する患者さんとは全く違う世界です。
フライトドクターは、フライトナースと一緒に現地で救急隊と合流して、設備や薬も限られた中で、診断を下さないといけません。現場での処置は20分前後で済ませるのが目標ですので、身一つで戦っている感覚です。わずか1、2分で患者さんの生死が分かれるぎりぎりの状況で、自分の救急の知識をフル動員して命を救う、とても充実感を感じられる仕事です。
宮崎大学医学部附属病院の救命救急センターでは、若い救急医の先生たちがキャリアアップしながら、好きなことにチャレンジできる環境づくりを目指しています。救急で地域貢献をしたい方はもちろん、医師のキャリアの一部として救急を考えている方にも、きっと役に立つ経験になると思いますよ。



宮崎大学医学部附属病院

所在地: 〒889-1692 宮崎県宮崎市清武町木原5200
電話: 0985-85-15100985-85-1510
URL: http://www.med.miyazaki-u.ac.jp/home/hospital/


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宮崎県地域医療支援機構(事務局:宮崎県医療政策課)
〒880-8501 宮崎県宮崎市橘通東二丁目10番1号 TEL 0985-26-7451
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