総合診療センター長
地域医療科主任部長
総合診療科主任部長
松田 俊太郎氏(まつだ しゅんたろう)
1996年、自治医科大学卒業。県立宮崎病院での初期研修後は、宮崎県内のへき地を渡り歩き、内科・外科・救急医療に携わる。2010年より宮崎大学医学部地域医療学講座(現・宮崎大学医学部地域医療・総合診療医学講座)で、総合医育成に特化した研修プログラムを開発。日南市・串間市エリアで「地域で必要な人材は、地域で育てる」をモットーに、地域に根差した総合診療医を育てる取組みを実践。2023年、県立延岡病院の総合診療センター長に就任。
【専門分野】地域医療・総合診療
【認定等】日本内科学会総合内科認定医・専門医、日本外科学会専門医、日本消化器外科専門医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本病院総合診療医学会認定医・指導医・評議、日本プライマリ・ケア連合学会認定医・指導医、日本専門医機構総合診療専門医・指導医
救命救急科主任部長
救命救急センター長
地域医療科部長
金丸 勝弘氏(かねまる かつひろ)
1996年、自治医科大学卒業。県立宮崎病院で初期研修後、椎葉村国民健康保険病院、東郷町国民健康保険病院、国民健康保険北浦診療所、西郷村国民健康保険病院で内科医として地域医療に従事。2006年より日本医科大学千葉北総病院の救命救急センターで救命救急を学び、2011年に宮崎大学医学部附属病院の救急部に赴任。翌年、救命救急センター設立とドクヘリ導入のスタートアップの主軸として活動。2022年より県立延岡病院に移り、県北の救急医療の更なる強化に挑む。
【専門分野】救急医療、病院前医療、地域医療
【認定等】日本救急医学会専門医・指導医、日本航空医療学会認定指導者・評議員、日本DMAT統括DMAT、宮崎県災害医療コーディネーター
金丸 「宮崎にドクターヘリを」という想いから、日本医科大学千葉北総病院救命救急センターに救急医療を学びに行きました。
2006年に千葉県に行った当初から、毎年宮崎に帰ってきては、宮崎でのドクターヘリの必要性を訴えていました。「ドクターヘリを一緒にやりましょう」という声が挙がることを期待していたのですが、当時はほとんど聞く耳を持ってもらえませんでした。
松田 僕らは、へき地医療の経験から、その地域に医師がいないことや医療資源が不十分であることにより、助けられない命があることを痛感していました。
地域の過疎化や高齢化は以前から分かっていたことで、へき地の医師を支援するドクターヘリは夢の飛び道具でしたが、当時は導入に賛同する声は多くありませんでした。
今では、医療資源を拠点病院に集約しつつ、ドクターヘリでへき地の医師とつなぐという構想は当たり前になってきましたよね。
金丸 宮崎県にドクターヘリを導入できないまま、当初は1年限りと考えていた千葉県での生活が、3年、5年・・・と過ぎていたある日、松田先生と宮崎大学医学部附属病院の池ノ上先生(当時医学部長)の間で、大学でドクターヘリを導入するお話が浮上しました。
松田 その時期、大学病院では新臨床研修医制度のあおりをうけて、医局の若手医師が減っており、県内各地域の中核病院から派遣医を引き揚げざるを得ないという事態に陥っていました。
しかし、宮崎には、産婦人科が全県下で周産期医療体制を整え、数年で周産期死亡率を劇的に改善したというモデルがありましたから、地域医療の分野でも、一次医療・二次医療、そして三次医療までの仕組みを地域医療でも作りなさいという使命が、池ノ上先生より与えられました。
「自分の専門しか診ない」という医師ではなく、地域の最前線であらゆる診療にあたることのできる総合医を育成するという方針を掲げて、はじめは、柴田紘一郎特任教授のお力添えを借りながら地域医療学講座の立ち上げ準備に入り、2010年から長田直人教授とともにスタートしたのですが、実は当時は、まだ救急分野に力を入れる意識が宮崎県にはありませんでした。
意識するようになったきっかけは、「朝のテレビに出るから見てよ」という金丸先生からの電話で、それが、めざましテレビの千葉北総病院救命救急センターの特集でした。金丸先生がフライトドクターとして登場し、最後に「僕の夢は、このヘリを宮崎の空に飛ばすことです。」と語っていたシーンに多くの人達が心を動かされました。長田教授が麻酔科で救急のご専門だったこともあって、救命救急センターとドクターヘリ立ち上げのプロジェクトが同時に動き始めました。
金丸 大学が手を挙げたドクターヘリプロジェクトに、宮崎県からかなりの予算が付くことになりました。予算も仕組みも県の担当者の大英断だったと思います。そこから救命救急センターの立ち上げとドクターヘリの運航開始までには1年しか時間がありませんでした。
私自身は宮崎大学にほとんど縁がなかったものですから、初めて大学病院で働くことになり、たくさんの人たちの協力を得て導入できたと思っています。
長田教授は、地域医療・総合診療の観点からも、へき地で何かあった時のために救急医療体制の整備がまず必要だと仰っていたので、私たちの経験や考え方ともマッチしていました。
その後、現宮崎大学医学部附属病院救命救急センター長の落合教授の救急医療のコンセプトに、私のフライトドクターの経験もミックスさせてもらい、まずは本丸である大学の救命救急センターの体制をしっかり組み立ててから、少しずつ地域の拠点病院に医師を派遣する方針で進めていきました。
松田 私は、そのまま救急を続けても良かったのですが、全県下に総合医を育てるという大学の方針がありましたので、長田教授と県立日南病院に地域総合診療医育成センターを作り、県南4病院(県立日南、串間市民、日南市立中部、市木診療所)を拠点に、地域医療の魅力を伝えるための総合診療の専門研修プログラムを始めることになりました。
当時の県立日南病院には、基幹型の研修医が一人もいなかったので、本当にゼロからのスタートでした。
その後、当講座は地域医療・総合診療医学講座へと名称を変更し、吉村教授や早川先生(現・県立宮崎病院総合診療科)たちの頑張りもあって、少しずつ新しい流れができてきましたが、それでも、従来からの若手医師の臓器別専門志向や地域の医師偏在は変わらないまま、あっという間に10年が経ち、そろそろ一つ区切りを付けないといけない時期かなと、宮崎県外の医療機関に勤めることも計画していました。
そんな時、金丸先生が「延岡に行くことになったので、1年でも2年でも手伝ってくれたらありがたい。一緒にやろう。」と声をかけてくれました。地域医療の面白さは地域でないと表現できません。救急医療と総合診療の視点から地域医療へ繋がる仕組みをつくりたいという想いから、延岡に来たという感じです。
金丸 私たちが20代で、へき地の病院や診療所で働いていたころは、輸血すらままならない状況でした。ドクターヘリがない時代は、陸路で患者さんを搬送するしかなかったのですが、椎葉村から県立延岡病院までは1時間半かかりますし、大学病院までは3時間以上かかります。
瀕死の状態の患者さんを輸血もせずに搬送するのか、依頼してから届くのに3時間もかかる血液製剤を待って輸血をしながら搬送するべきか、たかが輸血をするかしないかだけでもどちらの選択をすべきかで苦しい思いをしていました。
松田 私はへき地医療を専門としていて、宮崎県境で働くことが多かったのですが、熊本県や鹿児島県の病院にお世話になることも多々ありました。隣県の救急を受け入れてくれる病院には、まず患者を断られることはなく、全てのケースを受け入れてくださいました。むしろ「患者を連れてきてくれてありがとう」と優しい言葉をかけてもらうこともたびたびありました。
当時(2000年前後)の宮崎県は、救急車がない町村がいくつもありましたし、さらに宮崎県内では大学や県立病院の救急体制も整っていなかったので、地域で救急患者が出てもかなり困りました。地域中核病院の医師も大学の医局から派遣されていましたが、医療設備がどこでもすべて整っているわけではないという地域医療の現状を分かってもらえなかったことも一因になっていたと思います。そもそも、地域医療を支えるために救急はある、という文化がなかったのだと思います。
金丸 その意識を変えるために、宮崎大学医学部附属病院の救命救急センターでは、スクラブの背中に「For MIYAZAKI」のロゴをデザインしました。文字通り「宮崎を背負う」ことにしたのです。
はじめは大学内でも「そんなの背負って大丈夫ですか」と言われていましたが、我々は何のために救命救急センターに集まっているのか、何のためにドクターヘリを飛ばすのか、それは「宮崎のためなんだ」ということを宣言し、多くの人に見てもらうことで、医療チームのみんなに責任感と自信を持ってもらおうと考えました。
今は、救命救急センターの人材も充実してきて、県立延岡病院にも4人の救急医を派遣できるようになりました。毎年のように若手医師が入局してくれているのは、センター長の落合教授のお人柄と、ドクターヘリを旗印に、スタッフ全員でつないできた実績だと思います。
松田 私が働いてきた宮崎県の各地域の一次医療・二次医療の病院の立場からは、救命救急センターとドクターヘリの導入によって、救急の先生方が地域の急変患者をひきとり、全身管理をしてくださるようになったおかげで、へき地で働く医師もより頑張ることができるようになったと思います。
金丸 医師偏在指標を見ると、宮崎県は全国平均を下回り、九州の中では唯一の医師少数県となっています。その中でも、県北の日向入郷医療圏と延岡西臼杵医療圏は、どちらも県下で一・二を争う医師少数区域です。
松田先生と一緒に、一次病院から広く紹介患者や救急患者を受け入れ、地域医療を立て直す挑戦をここ県北から始めることにしました。これは、若いときにこの地域で医師として育ててもらった恩返しと、当時救えなかった患者さんへの罪滅ぼしでもあります。
宮崎県では、地域の病院や診療所からCT検査やレントゲン画像を送ってもらい、脳外科医などの専門医と、我々救急医や総診医が協働して治療方針をアドバイスするという「遠隔診療支援システム」を導入しています。患者さんに異変があれば、県病院で早めに精密検査をしたり、連携して対応できたりもするので、このネットワークシステムは、地域医療の立て直しに一役買っています。
松田 私は都城の田舎の育ちなので、これからも医療資源不足の地域で一生懸命生きているおじいちゃんやおばあちゃんたちと一緒に生きていきたいという思いがあります。
医師のスキルがいくら高くても、例えば私がこれから特殊な手技を身に付けたとしても、一人では限界がある。しかし、昔は命を諦めるしかなかった患者さんが、今はドクターヘリのおかげでたくさん助かっています。
医療設備や他の医療施設へのアクセスなど、多少の差はありますが、患者さんにとって必要な医療を提供するという点は、どの地域でも変わりないです。ただ、その仕組みは異なります。都市部では、各診療科をまんべんなく配置すればいいのかもしれませんが、医師の少ない地域の病院や診療所では、ドクターヘリなどのインフラ整備や、都市部と同様の医療が提供できるシステムがとても大事です。
これは救急の皆さんのおかげでだいぶ整備されてきましたが、へき地などの地域医療を担う人材は不足しています。診療科にとらわれない医師が、患者さんの家族背景や抱えている問題まで把握している看護師たちと一緒に考えながら治療していくという、チーム医療の整備が不可欠です。
ドクターヘリに加えて、先ほど話に出た「遠隔診療支援システム」も、都市部へのコンサルトのためのコミュニケーションツールです。昔は電話でお願いしても、状況が分からないからと断られていたものが、画像が入ってくると、これは重症だからこちらで診ましょうかと、かなり垣根が低くなりました。私たちが地域にいた頃とは全く違います。そういった意味で、このシステムの存在感は大きいです。
誤解してほしくないのですが、「遠隔診療支援システム」を医療機関に導入すれば必ず上手くいくというわけではありません。例えば、離島に赴任した若手医師が、全く面識のない大学病院の脳外科の先生に直接画像を送っても、なぜ自分に送られてきたのかと思われてしまいます。その間をコーディネートする医師が必要なのです。県立延岡病院では、救急科と総合診療科でその役割を担おうと構想しています。
仕組みも大事ですが、道筋をつけてくれる人も重要です。町医者が診療を断ることなく、いつでも患者さんが駆け込める。県立病院などの中核病院が町医者をフォローし、場合によっては大学につなぐ。臨床医学にはそのような社会学的な視点も必要です。
救急という糸口で、大学とのつながりがあることが重要で、いま私が可能性を感じているのは、救急のネットワークに乗っかって、総合診療科も若い研修医を育てることです。救急ができないと、地域に出ていくのは怖いという声をよく聞きますが、いざという時は県立延岡病院や大学病院が受け入れるという担保があれば、若い医師も安心して地域医療に挑戦できるのではと思います。
松田 私は、救急に強い総合診療医を育成したいと考えています。総合診療にやりがいを持ってほしい。総合診療は便利屋稼業ではありますが、まずは患者さんの便利屋となり、次に病院の便利屋になり、さらに病院をマネジメント出来るようになれば、地域を良くする便利屋にもなれるはずです。
私が考える総合診療医の完成形は、マネジメント力をしっかり身につけ、地域の病院や中小の公立病院で院長先生ができるレベルの実力を身につけた医師です。医療的なニーズを検討したこれまでの報告では、総合診療医だけで健康問題の9割は対応できると言われています。しかし、多くの医師にとっては、その領域の幅広さと時間的地理的に不利な点から、選ばれない傾向があります。県立病院や大学病院が残り1割の難しい疾病に専門的に対応しているのですが、これには多くの医療スタッフや医療資源が必要だからです。
人材不足の打開策として、県立延岡病院をベースキャンプにし、例えば週の3日は県立延岡病院で、残りの3日は地域医療というように、医師を共有できるような広域の医療連携を作るなど、新たな方策を考えないと、持続性が保てなくなりそうです。
金丸 そのためには、まず病院間の連携を強化することが大事ですね。県立延岡病院は災害拠点病院になっていますが、災害医療というのは、医療資源と医療ニーズのバランスで対策が決まります。
長年危惧されている南海トラフ地震が発生した場合、災害規模がべらぼうに大きく、医療ニーズが急激に上がり、それらのバランスも大きく崩れてしまいます。
南海トラフ地震に限ったことではありませんが、災害に備えて周辺の医療機関と連携体制を構築しておくことは、災害医療において非常に重要ですし、その構築のスピードをもっと上げる必要があります。
医療資源の少ない県北では、話がより深刻です。例えば、椎葉村の病院でドクター1人しかいない休日に、交通事故の重傷者が3人も出たら、それだけで医療資源と医療ニーズのバランスが崩れるわけです。1人の医師で3人の患者を診ないといけないけれど、救急車はない、消防も救急隊もいない、役場の人が負傷者を搬送してくるような現状では、いわば毎日が災害と隣り合わせと言えます。
つまり、県北地域では、地震や津波だけでなく、火災や交通事故など日常で起こることが災害なのです。この常在危機への対応も、医療連携が鍵になります。いずれにしても、連携構築は顔をつなぐことからです。松田先生のいうドクターシェアは、県北の災害への危機管理の面でも、この上ない有効な一手になると確信しています。
松田 たしかに、田舎で勤務していた時の方が、「今日は事故が起きませんように」と毎日ドキドキしていましたね。訓練で顔見知りになっておけば、「今日はこっちの患者さんが増えたから手伝って」と、お互いに支援も受援もお願いしやすくなります。
県北地域の医師をサポートできるのは、県北唯一の三次病院である県立延岡病院しかありません。危機管理として、患者さんを搬送してもらうことを考えると、結局、現場にいる医師の力量や判断力がキーになります。
だからこそ、地域に出ていく若い先生たちには、総合的な判断ができることを目指してほしいし、そこからの依頼を高次病院がしっかり受け入れるという連携が理想だと思います。
県立病院の所属として働きながら、一定期間は地域に出て患者を診る、すなわち、地域全体を診ることができるドクターが増えるような仕組みを確立していくためにも、横連携を組んでいくのが大事です。
松田 初期研修の段階から、地域に生きる人々に寄り添う医療を心掛けてほしいです。病気だけでなく、その患者の人生をきちんと診ていける医師になってほしい。
一つの疾病に対して何ができるようになったというよりも、患者さんがどういう病気で何が原因なのかを調べたり、患者さんの家族と話をしたり、将来、患者さんがどのような生活の場を持つべきかを考えたりと、医師として責任を持って、患者さんをマネジメントできる力を2年間で身に付けてほしいと思います。
金丸 「山でも島でも戦える医師を育てたい」という思いを込めて、救命救急科と総合診療科それぞれに、「For MIYAZAKI」に「Northern」を加えた「For Northern MIYAZAKI」のロゴをデザインしたスクラブを新調しました。
県北地域には離島も山間部もありますので、そこも背負うのが県北の医療だという研修医へのメッセージになれば良いなと思っています。
ドクターヘリやドクターカーで現場に駆け付ける救急医は、プレホスピタルドクターと呼ばれます。病院内はインホスピタルと言いますが、プレホスピタルからインホスピタルまでを診るのが救命救急科です。
総合診療科では、外来患者も含め、インホスピタルからポストホスピタル(退院後のアフターケア)までを診ますので、2つの科で研修を受ければ、患者さんの全体を診ることができるようになります。
そういう医師を県北で育てていきたいですし、研修医には、医療の領域も地域全体も幅広く診られるような医師になってほしいです。松田先生の言う、最終的に地域の病院の院長になれるような人材を育成することが目標ですね。
松田 県立延岡病院に臨床研修センターを新設するにあたり、あえて卒後と付けていないのも、それが目的です。学生教育も、卒後も、3年目以降の専門プログラムも含めて、総合的にマネジメントできればという寺尾病院長からの依頼もありました。
県立延岡病院自体には、3年目以降に残れる専門プログラムがないので、独自のプログラムを作る準備を進めています。
金丸 私たちは二人とも自治医科大学の出身で、「医療の谷間に灯をともす」という精神を刷り込まれて育ってきました。県北は、その「医療の谷間」が未だに数多く残っている地域だと思います。
私は、宮崎交通の創始者・岩切章太郎氏の「宮崎の大地に絵をかく」という言葉が好きです。これになぞらえて、これまで宮崎県全体の医療の谷間を埋めるべく、ドクターヘリで医療圏をつなぐというイメージで、宮崎の大地に大きな医療の絵を描いてきました。これからは「県北の大地」に、もっと細かい色付けをできたらなと思っています。「宮崎県北の大地に地域医療の絵をかく」ことを夢見ています。
それを実現できるのが、県立延岡病院ならではの地域医療の魅力です。ドクターヘリは飛んで行った場所の患者さんしか診られないので、色付けとしてはピンポイントとなりますからね。実際に地域に入ってみて、「この人にはどの色が合うだろうか?」「この地域は何色だろうか?」と色付けしていくことで、地域全体の彩りも鮮やかに見えてくると思います。
松田 金丸先生たちの救急医療は、ドクターヘリやドクターカーがあったり、ドラマや映画になる要素もたくさんあったりして、医師としてのアイデンティティを十分に体感できる診療科だと思います。一方で、地域医療を実践する総合医の魅力が、どうすれば若い先生たちに伝わるだろうかとずっと考えていて、いろいろ試してみてはいるのですが、なかなか答えは出ないままです。
ふと思うのは、地域医療は国際協力医療に似ているのではないかなと。海外の派遣先の無医村で問題点を見つけて、栄養失調の人が多いから現地で調達できる牛乳を飲ませようとか、現地の生活に介入してこの部分は改善したというような例は、地域医療と共通するものがあります。地域医療の実践を通して、そのような醍醐味を感じてもらいたいと考えています。私は地域医療が楽しいんですけどね。
金丸先生の言う「色を付ける」というのも、その通りです。地域医療というのは明確な形があるわけではありません。患者さんの生活や背景まで見ると、同じ病気であっても、生活によって人それぞれの色が変わってきます。
人の問題、地域の問題を見つけて、最善策を考えて介入していくという面白さが地域医療の魅力です。教科書もないし、専門診療のように手技を覚えるというようなテクニカルな要素もないから、目に見える成果を表すのは難しいのですが、社会学的な要素もあり、地域のコミュニティを作っていくのが面白いと思えるような人が増えてくれれば良いなと思っています。
宮崎県立延岡病院
病床数406床、診療科26科の急性期病院で、宮崎県の延岡西臼杵医療圏と日向入郷医療圏の2つの医療圏の二次・三次救急医療を担う。県土の41%を占める広大な医療圏に、およそ22万人(宮崎県人口の21%)の人口を抱えており、大部分が山間、中山間地域となっている。高齢化が著しい地域のため、高齢者特有の心臓病や脳血管障害等の急性疾患症例のほとんどを受け入れている。小児科や産婦人科をはじめとした絶対的な医療機関の不足とも相まって、救急患者受入件数は、年間5000件(約半数が救急車による搬送)を超える。
所在地 | 〒882-0835 宮崎県延岡市新小路 2-1-10 |
電話 | 0982-32-6181 |
URL | https://nobeoka-kenbyo.jp/ |
診療科目 | 内科、循環器内科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科・周産期科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科、歯科口腔外科、麻酔科、臨床検査科、病理診断科、救命救急科、総合診療科、集中治療科、化学療法科、眼科、脳神経内科、心療内科、精神科 |