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池ノ上 克 氏

PROFILE

1970年、鹿児島大学医学部卒業、医学博士。
日本周産期・新生児医学会理事、日本母子衛生学会理事長、日本産婦人科新生児血液学理事長。 1972年に鹿児島市立病院産婦人科医員となり、翌年、南カリフォルニア大学医学部で周産期医学を学ぶ。
1991年に宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)の教授として赴任、周産母子センターを立ち上げ、周産期医療ネットワークの導入を促進。宮崎の周産期医学を臨床及び研究面で日本のトップレベルに押し上げ、多くの優れた産婦人科医を育成している。 2011年、宮崎県地域医療支援機構代表者会議議長に就任。

出産という、最も生命のパワーが満ち溢れた医療現場に携わってきた池ノ上院長。その語り口は、優しく、力強く、そして明るい。宮崎県内で唯一の医育機関として宮崎大学医学部では、地域医療学講座を開講するなど地域で働く医師の養成に取り組んでいる。宮崎大学医学部附属病院でも救命救急センターが始動。今年、大きく変わろうとしている宮崎の医療の未来と宮崎県地域医療支援機構の役割を語っていただきました。

医療の進歩と専門化 患者と医師のミスマッチ

池ノ上 克 写真1

僕が医師になった約40年前は、へき地の診療所でも市内の病院でも、どちらもそんなに医療レベルは変わりませんでした。僕は、産婦人科医なのですが、たとえば、700グラムの未熟児の赤ちゃんが生まれた場合、昔であれば診療所でも大学の新生児センターでも助かりませんでした。しかし、時代とともに医療が進歩し、救命・生存できる可能性も増えてきました。それが当時と一番様変わりした部分です。それが、色々な診療科で起こってきているわけです。宮崎ですと、宮崎大学医学部附属病院や県立宮崎病院などの三次救急医療機関で専門医の手によって手術なり治療なりできれば、助かる可能性が高くなります。

患者さんの立場からしてみると、できればそういう大きな病院に運んでもらって治療を受けたい。これは当然ですね。同時に医師も、高度な知識とスキルでもって、昔は救えなかった命を救いたい。この思いも分かります。20年近く、そういう患者さんと医師の希望と、国の政策とも相まって、医療が進歩し、総合病院においても専門化・細分化してきました。そして気づいてみたら、みんな専門医なんですね。

 

患者さんの80%は、おなかが痛いとか熱が出たとか、近くの診療所の日常診療の中で対応できるもので、その80%以外の人でも、少しレベルの高い病院で精密検査が必要かもしれないという段階。そこで異常が見つかって、専門医の施術や治療を必要とする患者さんともなると、おそらく3%ぐらいしかいないんです。

実際、今の医学部の学生でも研修医でも、その3%を治療する医師を目指す人はいっぱいいます。そうしてベテランになるほど「心臓だったら診るよ」「腎臓だったら任せてよ」「ただ、それ以外はちょっと…」というふうになってきてしまいました。そうなると、80%の一般の患者さんは宙に浮くわけですね、「私はどこ行ったらいいの?」と。地域住民が病院に求めている医療と、提供している医療のずれが大きくなってしまい、宮崎県の医療全体が、ぎくしゃくしてきたんです。基本的には医療の進歩なんですが、それに仕組みづくりが追いついていません。これは宮崎だけの問題ではなくて、全国的な傾向なのですが。

それを打開するため、宮崎県全体を体系づけて、医療連携の仕組みをつくりましょうというのが、宮崎大学に与えられた2つのミッションでした。

開かれた地域医療の水平線地域医療学講座の開講と救命救急センターの開設

ドクターヘリ

ひとつは宮崎県からの寄附講座としての「地域医療学講座」です。この講座は、総合診療として風邪や腹痛などをちゃんと診て、その中から、20%あるいは3%の患者さんを見分けられる能力を持った医師を育てるのが目的です。まだ数は少ないですが、地域の病院に勤めたり、大学に帰ってきたりしながら、力をつけています。また今年は、宮崎県の地域枠出身医師が、臨床研修医としてトレーニングを始めました。もともとの本人の希望もあるのでしょうが、地域医療に携わりたいという卒業生が実際に現場で育ち始めているという状況があります。

もうひとつは地域の病院に勤めている医師たちが、その3%の患者さんに対峙した場合のことも考えなければなりません。へき地や離島で一刻を争う事態となったら、大きな病院への搬送や搬送方法がないとどうしようもないのです。二次医療機関ですら受け入れが難しいとなったとき、三次医療機関である大学病院ですべて受け入れる体制と覚悟がなければならない。大学病院の中に、しっかりとした救命救急センターを作り、地域に散らばった、総合診療の医師が「大学へ送りたい」と思った時、「いつでもOK」というような体制を作っておかないと、安心して仕事を全うすることができないのが現実です。

どこにも送れない重篤な患者さんが目の前にいる、医師や救急隊員にとって、これほどつらいことはありません。大学から、地域に行けと医師を送っておいて、そこではしごを外すような真似はできないからこそ、ドクターヘリの導入や救命救急センター開設も急務として進めていったわけです。

救命救急センターの開設にあたっては、多くの不安の声があがりました。しかし当初、医師14人・看護師48人の陣容で救命救急センターをやりますよ、という計画を発表したところ、宮崎出身、あるいは宮崎ゆかりの人、もちろん宮崎大学の卒業生もいますが、よその地域で救急の仕事に携わっていた医師たちが、宮崎でやるのならと、帰って来ました。いまや医師15人(救急の専門家が8人)体制で、院内の協力体制も整い、大きく舵を切れる段階まで具体性を帯びてきました。院内の専門医とタッグを組んで、ときにはディスカッションして、患者さんの治療にあたるのですが、救急医学の理論を持っている医師は強いです。救急医学を専門に学んできた理論と経験で、一刻を争う事態を切り抜けなければいけない現場に立ち、臓器別の専門医とも対等の立場で渡りあう。救急は、そんな自立した医師がいないと成り立たない現場ですし、これからも育てていかないといけませんね。

研究と臨床のバランス 大学病院としての存在意義

宮崎大学医学部附属病院

宮崎大学医学部は、研究のレベルが非常に高く、国際的に通用する論文もたくさん出ています。ただ、研究ばかりしていても地域の人からは何の意味もないとも言われかねない。そこに病院があることのありがたみが感じられないのです。

宮崎大学医学部附属病院は中核病院ではありますが、県立宮崎病院に比べれば、かなり後発の病院です。臨床は、そうそう簡単には力がついてくるものではないですが、それでもやはり宮崎県民の皆さんに「宮崎大学医学部があってよかった」「大学病院でよかった」と言われるような医療を提供していきたいとの思いがあります。

宮崎県は、ほとんどの医療分野において、最後の砦を県立宮崎病院か宮崎大学医学部附属病院という構図で動いていますから、最終地で信頼が揺らぐことがあってはならないのです。すべての地域から患者さんを受け入れる体制を作り、少しでも救えるものなら、医師も看護師も技師もみんなで協力して命を救うために動く、ようやくそんな病院になってきました。

宮崎の医療、新時代の幕開け。アイデアと役割分担で繋がる命がそこにある

池ノ上 克 写真2

これらを維持していくためにはどうしたらいいか?地域の医師不足をどうするか、医師の負担軽減を図るというのは本質ではないのです。この地域の病院の医師が2人辞めたからプラス2しましょう、というのは40年前ならそれでいいんです、そもそも足りてさえいれば、どんな医師がいても一緒なんですから。これは、大都市でも離島でも人口や条件が違うだけで、同じことです。なぜ患者さんが困っているのか、の事情が違うだけで、その背景にあるのは進歩する医療に制度が追いついていないというのが、機能しない原因なのです。

宮崎県の場合は、高速道路が通っていない、中山間地域が多い、など具体的に解決しなければいけない諸問題はありますが、考えるべきなのは、地域の臨床の現場と、二次・三次医療機関を繋ぐ線なのです。

たとえば山の中で滑落事故があり、ドクターヘリに出動要請がかかる、現場に飛んだ医師と看護師が、近くの病院で治療できるかそうでないかを判断し、ランデブーポイントからその地域の病院へ受け入れてもらうということがまずひとつ。

もうひとつは、救命救急センターには、病床が20床ありますが、すぐにいっぱいになります。だから、容体が安定した、あるいは人工呼吸器を外せる状態になったら、センター以外の病院で術後ケアができるような体制を整える必要があることです。

そのような医療体制を実現するために、宮崎県医師会を通じて、病状に応じての急患の受入れ体制の可否、たとえば、「骨折ならいいですよ」とか、「脳出血だったらいいですよ」というような調査をさせてもらったのですが、診療所や総合病院を問わず、半数近くの医療機関から受入れ可の返答をいただきました。医師会の先生方も大変協力的で、自分たちの役割を考えてもらっています。

もちろん専門医が各地に配置されて、患者さんの分布に応じた高度医療を展開する医師も大事ですが、今の宮崎県には、80%を診てくれるような医師が必要です。それを医師会や総合医を目指す人たちと一緒にどうカバーしていくのか宮崎県全体の構図を描く、そのためには、単に行政区域で二次医療圏ごとに病院の数を配置しましょうというのでは、医療資源のロスです。

たとえば私の専門のお産なんかは、ほとんどない地域もあります。そこで産婦人科を開業しろというのは、そもそも成り立たないですし、他の診療科でも急に医師が増えるということはありません。であれば、へき地の診療所にも必要な設備を配し、二次医療機関の一部として、医師が交替で通う、何か起きたらその病院に運ぶ、というような各病院と搬送手段との連携が、最も有効な手段であると考えます。その仕組みづくりが、まさに宮崎県地域医療支援機構の役割なのです。宮崎県、市町村、医師会と大学病院が連携して、宮崎全体の医療制度を変えていく。今まさに宮崎県の医療は、新時代の幕開けを迎えているのです。

未来の医師へのメッセージ バックボーンのある医師に

池ノ上 克 写真3

一口に医学部の卒業生といっても、その将来像には様々なチョイスがあります。一般的には、専門医であれ、総合医であれ、臨床医を目指すことが多いのですが、患者さんには接することなく一生研究者として全うする人もいれば、厚生労働省に入って医官になる人もいます。医療は臨床だけではなく、基礎医学や医療行政にも支えられて成り立っているものです。だからこそ、どういう分野に進むにしても、医師としてのベースを作るためには、医学に邁進することが大事です。

一番強いのは、自らの専門分野を持ち、しっかりとしたバックボーンを確立してからも、さまざまな症例や他分野での現場経験を積んでいる医師です。どんな現場でも、どんなスタッフとでも渡り合える医師は、患者さんにとっても、もっとも信頼でき、安心できる医師の姿ではないでしょうか。

そして将来は、臨床にも、研究にも、あるいは行政にも、自らの適性をしっかり見極めて、自分の道に進んでいってほしいと心から願っています。

最後に先生にとっての医療とは?

命を救う 宮崎大学 理事(病院担当) 宮崎大学医学部附属病院 病院長宮崎県地域医療支援機構 代表者会議 議長 池ノ上 克

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宮崎県地域医療支援機構(事務局:宮崎県医療政策課)
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