1984年、川崎医科大学を卒業。2000年、平野消化器科開業。2006年、延岡市医師会理事就任。
2014年、延岡市医師会副会長就任、現在に至る。
かつて県立延岡病院では、医師の大量退職が起こった。夜間・休日の救急医療の増加が医師の疲弊の原因となり、地域では、深刻な医師不足の事態に陥っていた。この緊急事態に対して延岡市は「地域医療を守る条例」を制定するとともに、市民活動による意識の変革でコンビニ受診を減らし、県病院や医師会の医師たちが手を取り合い、コメディカルや介護・福祉の職員たちも立て直しに奔走した。
平野医師が延岡市医師会救急担当理事になったのは、ちょうどその真っただ中だった。県病院の時間外受診の患者数は1万人以上。その負担を減らすためには、医師会会員で1次救急の受け入れを行い、夜間急病センターを充実させることが急務だった。
「深夜帯を金曜日1日だけだったところから、4日間まで増やすことができました。本音はもっと増やして、365日深夜帯に対応したいのですが、人手の確保が難しいですね。」
夜間急病センターは、内科と小児科の受診が多く、外科は比較的少ない。熱発・腹痛などのウォークインの患者が大半で、救急車は1日1台程度、入院設備がないので、2次救急は直接県病院に送られることもあるが、1次救急としての役割をしっかりと担っている。医師会の医師たちは、日中の自院におけるそれぞれの診療が終わった後、輪番制で夜間対応にあたる。
「夜間急病センターの担当の日は、自院よりも最優先で運営に当たっています。「23時までは診るので県病院はシャッターを下ろしてください」という覚悟でしたし、土曜日の午後の診療と重なるときは、自院の患者さんをセンターで受診させることもあるんです。」
医師会の会員中心で運営しているが、今や80人を下回っている。また医師の高齢化も進み、会員医師の平均年齢は60歳を超えている。
「ご高齢の先生方を外すと一気に半分の数になり、さらなる拡充は難しいところです。残りの先生たちが息切れする状態になってしまっては、元も子もないので、現状維持に腐心しています。高速道路もできたので、大学や他の地域からの応援に期待しているところなのですが。」
医療資源の確保というと医師に目が向きがちだが、看護師や放射線技師が少ないことも運営のネックになっている。看護師は専従で4人いるが、夜だけ働くという特殊な勤務形態になり、さらに技師は医師以上に少なく、担い手がいない。
延岡の場合は急病センターだけではなく、全ての在宅当番医も開業医が担当している。もともと小児科医が少ないところに加え、乳幼児など特殊性のある医療も含めて365日という体制のため、かなりタイトにシフトが組まれていた。10人前後で、しかも医師の高齢化に鑑み、先行きサービスが維持できなくなるという懸念もあった。
「特に土日に休めないという問題を解決するために、2011年から、日向市の小児科医と一緒に在宅医の広域連携を始めました。例えば、延岡の先生が当番のときは、日向からも患者さんが来るし、日向の先生が当番のときは、延岡からでも受診に行くという流れをつくりました。もともと夜間急病センターには広域からの支援がありましたので、割とスムーズに進みました。」
夜間急病センターは、日向からだけではなく、宮大医学部・大分大医学部・九州保健福祉大学などからの応援を受けて365日の準夜帯診療が成り立っていた。ところが、である。
「昨年小児を診療される3人の医師から、相次いで急病センターの輪番と在宅当番医を辞退したいとの申し出がありました。今年になってからは、小児科医師がお一人お亡くなりになられたり、新たにもうお一方から辞退の申し出があり一気に半数の小児科医が減るという事態に。ただ、皆さん80歳にもなろうとするご高齢の先生方でしたし、今までの貢献を考えたら、無理に引き止めることもできませんよね…。」
365日体制が難しくなり、縮小を検討せざるを得ない状況で、窮状を知った宮崎大学医学部附属病院の小児科からの応援で夜間急病センターを増員できた。
「医師数は元には戻っていないのですが、何とか維持できている、というところです。宮大が特に日曜日を担当してもらっているので助かっています。」
平野医師が10年前に最初に取り掛かったプロジェクトが輪番制の取組みだった。
「県病院の先生が辞められた後に、いくつか休診科ができてしまいました。実際に目の前に患者さんはいるわけですから、とりわけ緊急性の高い、脳梗塞と、消化管出血を医療圏内の病院で担当する輪番制を始めたんですね。今のところは定着した感がありますし、夜間急病センターを充実させたことで、県病院の時間外受診を1万人から5千人に減らせたわけですから、ある程度の成果が上がっているのですが、数年経つとやはり各部署に疲弊感が出てきています。」
コメディカルスタッフも誰でもいいというわけではなく、特殊性や熟練性を要するものであるため、なかなか後継者が育っていないという現状がある。
「救急医療というものに対しての認識に、医療人と市民との間に少しずれがあるんですね。理想論だけでは継続が難しいと思う半面、できるだけ期待に応えたいという思いもあります。現実路線の中で、対応を工夫したいと思っていますし、そのための努力を重ねていきますが、同時にその認識のずれを埋めていくのも大事で、相互理解が両方の責務としてあるのかなと。我々もスタッフの確保を頑張りますので、コンビニ受診や、不要不急の受診を控えていただくなど、住民の協力が最大のサポートになります。」
中核病院である県立延岡病院の存続危機は、市民の意識にも大きな変化を与えた。自分たちでできることは自分たちで努力しようという機運が高まり、かかりつけ医の活用や健康増進の取組みが定着してきた。
「延岡の場合は医療関係者だけではなくて、行政や市民団体が、医療に対して真摯に前向きに取り組んでいるという姿勢があります。そのことは我々医療人にとって非常に励みになるし、より期待に応えたいというモチベーションをも高める要素になりますので、今後もより良い連鎖を構築できればと思います。」
救急の最前線にある夜間急病センターの覚悟と気概は、人の輪によって支えられている。