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飛松 正樹氏

Profile

宮崎市出身。1998年、防衛医科大学校卒業後、総合臨床部で専門研修を受け、医官として陸上自衛隊帯広駐屯地等に勤務。家庭医療への志向があり、2004年から三重大学附属病院総合診療部に入局。三重県立一志病院では院長として地域医療に取り組み、2014年に宮崎に帰郷。地域医療学講座で、県立日南病院で地域総合医育成サテライトセンターの指導医を経て、現在は民間病院にて家庭医として働きながら、後進の指導に勤しむ。

家庭医療に興味を持ったきっかけ

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防衛医科大学は、医学部としてのカリキュラム以外に、自衛隊としての訓練もありましたので、普通の医学部より授業数は多いかもしれませんね。全国の部隊を見学に行ったり、そこで訓練に参加することもありました。

防衛医科大学病院の初期研修はローテート研修でしたので、現在の卒後臨床研修と同じようなものだとは思いますが、総合臨床部という診療や教育をしている部門を回ったときに、アメリカで家庭医療を学んできた先輩が2人いらっしゃったんですね。そのディスカッションになんとなく共感する部分がありました。

初期研修のときに複数の疾患がある、あるいは診断がつかないなどの理由で、診療科のはざまで困っている患者さんがいました。

ある科を研修していた際に、70歳の女性の患者さんが、肝臓がん末期で下血の症状で入院されました。すでに黄疸も出ていて、おそらく1カ月も生きられない状態だったのですが、治療もできないからと複数の科で受け入れを断られる状況でした。

「先生、私ここに居ちゃだめだよね。ごめんね。」と患者さん自身が気を使って申し訳なさそうにしている姿を目の当たりにして、いろんな臓器別の専門家も必要だけれど、その患者さん自身を責任を持って診るかかりつけの専門も必要なのではという思いが生まれました。

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まだ初期研修の2年目でしたので、総合診療というものが何なのかあまり分かっていなかったかもしれませんが、かかりつけ医になるなら家庭医療の先生たちのいる総合臨床部に行こうと決めました。

初期研修後は、帯広の部隊に配属されました。隊員の健康管理や、衛生隊としての訓練が主で、戦争の前線で傷病者が出たら治療して戦線に戻したり、あるいは戦えなくなった人たちは安全に後方に送ったりと。災害医療にも通じるところがあって、いわゆるDMAT(災害派遣医療チーム)のようなトリアージ訓練や救護所開設訓練を北海道の山の中で行っていました。

その頃には、総合診療医になる意志が明確になっていましたので、帯広の部隊にいる間も、消化器内科や糖尿病内科や循環器内科など内科の中でもより広く勉強してました。後期研修に戻ってきたときも、防衛医科大の家庭医の先生とプログラムを考えて、小児科や泌尿器科や整形外科など、さらに診療の幅を広げる研修をしました。

そのような研修を行いながら、総合臨床部の外来では、初診外来に加え、かかりつけの患者さんを継続的に診療しました。自分の患者さんに何があっても継続的に診ていくことで患者さんや家族との関係性も深まり、やっぱり家庭医療って面白いと思うようになりました。

地域医療へのターニングポイント

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自衛隊の場合、防衛医大の病院勤務と部隊勤務など、あくまで自衛隊医官としての業務ですので、自分の目指すかかりつけ医とイメージが離れてしまう感じがありました。

三重大学は日本の中でも家庭医療に先進的に取り組んでいて、先輩がいた縁もあって医局に入ることになりました。三重大学総合診療部に入局してから、研修や大学からの派遣で、へき地の病院でも診療をしていましたが、医師不足のため、大学からの派遣が間に合わないときは休診という病院もありました。どの病院も医師を確保するのが大変で、大学の医局にも人がいないので、いくらお願いしても派遣してもらえず、病院に残っていた先生たちも疲弊していました。

私はまだ、大学病院で家庭医療を中心に勉強したり、小児科や産婦人科でも研修していたのですが、地域が危機的状況でしたから、そろそろ地域で貢献したいという思いが高まっていました。そして、教授から家庭医療を県立一志病院でやってみようという話がありました。医療圏の住民は2万人ぐらい、高齢化が進んでいて、大学病院までは1時間、中核病院までは30分ぐらいの山あいにある46床の病院でした。

常勤医4人と、外科と眼科の非常勤の医師という少ない状況で、「家庭医療科」を掲げて、外来・病棟・急性期のかかりつけ医となり、健診や健康講座の開催、地域全体を診るという活動を始めました。学生や研修医にも、病棟の患者さんを受け持ってもらい、指導医の下で外来や訪問診療にも同行してもらいました。

学生や初期研修医の指導は負担になると思われますが、学生や研修医が患者さんの話をじっくり聞いたり、病状を評価したりと、役割を持たせて指導医とともに担当してもらうことで、トータルでは患者さんのケアに使う時間が増えました。患者さんや住民からの評判も良かったですね。健康教室のプレゼンはむしろ学生の方が上手で面白かったので、職員の側が、学生に合わせて毎月の教室のスケジュールを組むようになってました(笑)。住民との距離が近くなりますし、患者さんとの関係もできてきて、実習の体験を通して、家庭医療を理解してもらえるようになりました。

始めは手探りだった教育が、学生のレポートなどを読むと、やはり体験が一番伝わるんですよね。大学の5年生ぐらいからは、リアルな医療を体験できる機会を用意して、それを指導医がよく見て、適切なフィードバックを与えることが一番の成長の糧になります。5年間で、ある程度若い人たちが集まるようになり、学生教育の布石もできて、スタッフや地域住民にも家庭医療が定着しつつありましたので、一志病院を去るにあたっては、それが継続できるようにということを一番に考えました。

家庭医療が果たす役割

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家庭医療はすでに世界標準になっています。ヨーロッパでは、家庭医がゲートキーパーとなって、住民からの相談を全て受け、治療したり、専門病院を紹介するという制度があります。

その点で日本は遅れているのですが、全くないというわけでもありません。昔は村や町に1人医者がいて、大人も子どももその先生に何でも相談して、亡くなるときにもその先生が看取って…というのが普通だったんですよ。医療が発展し、専門医がさらに細分化されてしまってからは、住民もかかりつけ医を持っていないか、その機能が薄くなってしまいました。

今は逆に見直されてきていて、開業医の先生たちがそれぞれ努力されて、その地域で信頼されるかかりつけ医になることも多いと思うんですね。そこを制度として整えていきましょうというのが、2017年度から始まる新しい専門医制度です。「総合診療専門医」として一般に認知されれば、かかりつけ医の価値も理解しやすくなるのではと思います。

総合診療専門医の核となるのは、患者さん中心のニーズに応える医療の提供と、地域や家族のケア、心理的・社会的・倫理的な面まで総合的に診る、というところです。それらの自分で経験してきた事を診療や教育を通して、学生や研修医に伝えていければと思っています。

地域にある程度の数の総合診療医がいて、公立や民間病院の専門医や開業医の先生たちと連携することが地域医療には必要です。行政や住民、多職種の介護士や保健師さんにも協力してもらって、この地域で働いてくれる医師を、ここで育てていくというのが理想ですね。また、患者さんにも「かかりつけ医」を持つことがメリットになるんだよと、総合診療医や家庭医の存在価値を伝えていきたいですね。

最後に先生にとっての医療とは?

すべての住民がより元気に生きるための源 宮崎大学医学部地域医療・総合診療医学講座 非常勤講師 百瀬病院

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