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濵砂 亮一氏

南北に長い宮崎県のちょうど中央に位置する西都児湯医療圏。病院のある西都市と木城町を中心に、山側は西米良村、海側は都農町から川南町・高鍋町・新富町までの約1100平方キロメートルに、約10万人が居住する。65歳以上の高齢化率は31.68%(2015年国勢調査)と高く、人口減少も激しく過疎地域になりつつある。

南北に長い宮崎県のちょうど中央に位置する西都児湯医療圏。
病院のある西都市と木城町を中心に、山側は西米良村、海側は都農町から川南町・高鍋町・新富町までの約1100平方キロメートルに、約10万人が居住する。
65歳以上の高齢化率は31.68%(2015年国勢調査)と高く、人口減少も激しく過疎地域になりつつある。

プロフィール

西都市出身。1992年、宮崎医科大学(現宮崎大学医学部)卒業後、脳神経外科入局。2005年、西都市西児湯医師会立西都
救急病院に着任し、以来10年にわたり、出身地である西都児湯医療圏の救急医療体制の確立に尽力。2016年より地方独立行政法人として、新たなスタートを切った西都児湯医療センターで、病院の変遷を乗り越え、地域医療を守り続けることを自らの使命としている。

  • 脳神経外科部長
  • 日本脊髄外科学会認定医
  • 日本脳神経外科学会専門医・日本脳神経血管内治療学会専門医
  • DMAT隊員
  • 災害医療コーディネーター

病院の変遷

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西都児湯医療センターの前身となる西都救急病院は1980年、県内初の24時間対応の救急病院として設立された。その後、西都市西児湯医師会や医療法人財団として運営されてきたが、2016年より地方独立行政法人となり、人事や財務基盤を整えて、地域医療を守る体制を強化した。夜間医療センターの運営と救急患者の受け入れを強化しつつ、万が一の災害発生時には、災害拠点病院としての機能を果たせるようにDMAT(災害派遣医療チーム)を組織している。

「私がここに来てから10年たちましたが、病院の名前が4回も変わっています。激動の中にあって、いつつぶれてもおかしくない状況でした。内科が撤退して脳神経外科だけになった時期もありましたし、財団化してからも再び内科がなくなり、常勤医が理事長と2人になった時期もありました。自分が居なくなれば、病院自体が無くなっていたと思います。地元でもありますし、規模は縮小しながらでも医療の形は残していくべきとの思いで、何とか乗り越えてきました。」

現在は、常勤医5人体制で、非常勤も含めて9つの診療科を擁し、年間で900件の救急搬送患者を受け入れている。

「2次医療圏の拠点病院というほどの力はないのですが、私が1人の時でも600件の救急車を受け入れていました。脳疾患は急患も多いので、この地域に脳外科が無くなってしまうと、住民の皆さんにとっては、かなり大変なことになります。宮崎市内の病院まで搬送するといっても、それほど余裕があるわけではないですから、地域で救急に注力せざるを得ないという状況があります。」

西都児湯地域で一定レベルの救急を完結させることを目指し、時には限界を超えながら、受け入れられるだけの救急医療を提供し続けてきた。宮崎大学医学部附属病院の救命救急センターが本格稼働し始めて4年、高度救命医療もカバーできる体制が整ってきている。

「私が脳外科で、循環器内科の専門医、呼吸器専門医がいます。これで脳卒中・心疾患・肺炎はカバーできるようになりました。膠原(こうげん)病や消化器分野が専門の先生もいて、内科医でも外科的手術の経験があったり、アグレッシブに自らの医療の専門領域を充実させようという気概のある、頼もしい仲間が集まっています。新しく来られた長田理事長も麻酔科ですし、少人数ながらも、診療上のバランスが取れています。」

独立行政法人への経緯

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もともと西都市が開設し、その運営を医師会が担う公設民営の病院として、30年近くにわたり、24時間365日体制で地域住民の命を救ってきた。2004年の新臨床研修制度により、大学医学部で医師の確保が難しくなり、派遣医が引き上げられたため、危機的事態に陥った。内科医の不在は、入院患者の減少など、経営にも大きなダメージを与え、病院そのものの存続も危うい状況を迎えていた。コストのかかる救急医療を継続するためにも、財政の健全化は急務だったが、民間病院としての運営も限界を迎え、2016年から西都市の地方独立行政法人として、生まれ変わった。

「民間から地方独立行政法人になるのは、全国でも初めてのことです。100床に満たない病院が、独法化してよかったのかという思いもありますが、現在のところ、黒字経営の見込みです。今後は、地域医療の拠点であるとともに、災害拠点病院としても機能できるようになることが必要です。災害はいつ起こるか分かりませんから、設備や体制を整えて、10年後も20年後も継続してこの地域の医療を守ることが、このセンターの使命です。」

経営を健全化して医療基盤を強化するためには、診療科の拡充やベッドの増床など、課題も多い。

「医師の仕事としては、これまでと変わらないのですが、議会や自治体とのコミュニケーションが取りやすくなりましたね。西都市には医療行政のノウハウはありませんでしたが、病院経営のリアルな姿をフラットな目で見ていただけるので、地域住民や議会に対して実態が伝わるようになりました。センターからも積極的に情報発信して、地域住民や医師会の理解と協力を得られるよう、努力しています。」

地域医療に求められているニーズ

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「産科も含め、多様な医療サービスを提供しなければ、若い人は帰ってこないと思うのですが、マンパワーの不足もあり、現状は高齢者を対象にしたケアが中心になっています。4人部屋に入院している患者さん全員が、90歳代ということもありました。地域の医療ニーズは偏ってきていますが、将来的には、子どもから高齢者までを地域で診てあげられるような病院にしていきたいと思っています。私が専門としている脳外科では、脳腫瘍以外なら手術を含めて、宮崎市内の病院と変わらない医療が提供できると思います。年間550人ほどの新規入院のうち、半数以上が脳卒中の患者さんです。疾患の性質上、急患が多いのですが、地域医療には慢性疾患の治療も必要で、内科的な生活習慣病や慢性肺疾患、ガンの対応など、少しずつ枠を広げているところです。」

西都児湯医療センターでは、5人の常勤医が、プライマリな医療を担当しながらも、それぞれサブスペシャリティを生かした役割分担をしている。全員が少しずつ守備範囲を拡充して、中核病院として地域の医療ニーズに応えるだけではなく、特色のある病院として大きくなる戦略も見据えている。

「呼吸器内科の床島先生は、気管内ステント留置術のスペシャリストで、今年に入ってから症例も増え、県内での治療件数は最も多いのではないかと思います。一般的な病気も診ながら、サブスペシャリティの高度医療まで実践できることが、病院としてのあるべき姿かなと思います。加えて、地域外からも患者さんが訪れるようなセールスポイントを、いくつか作っていければ良いと考えています。」

新専門医制度の導入により、専門医が技術や知識を学ぶのに、都市部の症例数の多い病院に集中する傾向が強くなり、地域の病院が切り捨てられるのではないかとの不安の声も上がっている。サブスペシャリティ領域で、得意分野に特化して、集患と研修環境を確保するというのも、病院が生き残る方策なのかもしれない。

「プライマリを診ながらも、サブスペシャリティをいくつか持っているというのが、地方で働く医師の理想形ではないでしょうか。それが地域の人たちへ安心感を与え、病院や医師の存在価値になると思います。」

地域完結型医療の実現に向けて

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「救急の面では、夜間急病センターは常勤医がメインで担当していて、東児湯地域の先生方や大学の医局からのサポート、私が個人的につながりのある先生方に協力していただいて維持できています。23時でクローズしてしまいますが、深夜の緊急事態の際は、当直医で対応しています。ただ、月に7〜8回の当直勤務がありますので、まだ負担が大きいのが実情です。医師がもう少し増えれば、定期的な勤務ペースもつくりやすくなると思います。」

地域住民を対象とした講演会や勉強会の機運も高まり、西都市に30以上、児湯地域にも20以上ある地域の病院やクリニックとの紹介患者の行き来も増えている。
「地域完結型医療のためには、医師も看護部門も事務方も、全てをレベルアップしていかなければいけません。人事を刷新し、公的病院になったからといって、経営が安定するというわけでもありませんが、この地域で医療を継続していくことを可能にする病院経営を目指しています。」

地域医療の充実にとって、行政と医療機関は不可分の存在であり、医療機関や医師会、そして、それを享受する地域住民のサポートをも必要としている。西都児湯医療センターの数々の危機を乗り越え、地域医療の理想像を追い求める、濵砂医師の活動からは今後も目が離せない。

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