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落合 秀信 氏

プロフィール

宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)卒業、脳神経外科医、救命救急医。4年間のアメリカ留学にてERに接する。県立宮崎病院を経て、2012年4月より宮崎大学医学部附属病院救命救急センターの初代センター長に就任。

医師になる当初から救命救急医を目指していたという落合医師。宮崎県内における実態と、4月からスタートした救命救急センターとドクターヘリの運航実績、また、救命医の魅力とセンターの将来像についてお聞きしました。

ブラックジャックに憧れて 救命救急医としての萌芽

落合 秀信 氏

英語が好きで、語学を生かして海外を飛び回るような仕事に就きたいと思っていたアクティブな性格の青年。高校2年生の時に祖父を癌で亡くしたこともあり、医師という仕事へのやりがいを感じて、医学部に進路を定める。

「みんな読んでいたマンガで『ブラックジャック(手塚治虫)』というのがありましてね、あんなドクターがいたら、もしかしたら祖父もなんとかなったんじゃないかって…」

死の淵に立っている患者さんの命を奇跡的な手腕で救う。もともと小学生のころから人体への興味はあったという落合医師。それも相まって、自らの手でメスを振るって患者さんを治したいという外科志向が生まれた。医学部を卒業するに当たり、救命救急を学べる医療機関で勉強したいと探していたが、当時「救急は専門でやるもんじゃない」という考えの病院がまだ多く、まずは脳神経外科のドクターとしてキャリアを踏み出すこととなる。

昭和63年、宮崎にも「救急」と銘打っている病院は存在しておらず、昼間の交通事故は、頭部外傷であれば脳神経外科のお医者さんへ、腹部や胸部であれば外科へというように、それぞれの専門医に搬送、夜間であれば、内科や外科を問わず時間外診療という形で対応しているのが実態であり、救急科としてなんでも受け入れますよ、というところはまだなかった。

その後、医師会を中心に夜間急病センターで夜間診療の一本化が図られるとともに、県立宮崎病院と県立延岡病院に救命救急センターが開設され、重篤な患者も診れるようになり徐々に体制を整えていったが、宮崎県内の救急医療体制にはまだ偏在がある。

ターニングポイント 「愛娘の交通事故」

落合 秀信 氏

脳神経外科と救命救急との両方を勤めながらキャリアを積んでいた平成17年、娘が交通事故に遭い頭部外傷を負うという衝撃的な出来事を契機に、救命に本腰をおいた診療をしたいとの思いをより強くした。救急で運ばれる患者の内、交通事故は、頭をフロントガラスに打ちつけたり、地面に叩きつけられたりという頭部外傷が特に大きなウェイトを占める。

「やはり初期治療で助かる確率が大きく変わってきます。現場での処置次第なんですね。幸いにも娘は後遺症も残らず退院しましたが、救命救急の大切さを身をもって感じた瞬間でした。」

自分の手でより多くの患者とその家族を助けたい。それに専念できるドクターになろう、と決心したのがターニングポイントとなった。

宮崎医療の最前線 救命救急センターの立ち上げ

落合 秀信 氏

平成24年4月に大学病院に救命救急センターが設立。落合医師はその初代センター長として着任する。設立にあたっては、センター単独ではなく、県内の医療機関全体を巻き込む構想を持っていた。

「救命救急センターでは急性期の患者さんを受け入れるのが常なのですが、ただその患者さんが回復して退院するまでとなると、すぐにここの20床が埋まってしまい、次の患者さんを受け入れられないという事態に陥ります。この循環を止めないために、救命救急センターでの治療がある程度落ち着いたところで、経過観察は、他の病院や開業医の先生のところに転院して診ていただくという、後方連携の仕組みを作る必要がありました。」

県医師会を通じて県下の病院、開業医に打診したところ、多くの協力的な返答が集まり、関係者の間では感動の声が上がった。センターがオープンして50日、150余名の重症患者を受け入れ、状態の落ち着いた患者さんの多くは、市中の病院に送って療養やリハビリに移行しているという実績もあり、スムーズな送り出しと受け入れ態勢もすでに整っている。

「開業医の先生方は日常とても忙しいので、急患への対応や、時間外の患者さんの受け入れも難しい。次の日も朝から通常の診療が始まるわけですし。だから急患はセンターに回してもらってもいいのです。」

互いが連携して役割を担うことで、充実した医療が提供できると心強い。

センターだけで全部の手術に対応できるわけではない。大学附属病院の各専門診療科の医師に必要に応じて手術に入ってもらい、その後も術後の経過を診てもらうということが可能になっているのも、医療の提供のあり方として理想的である。

現在、救急科専門医が15人という体制で、中には地元宮崎に救命救急センターができるならと、わざわざ県外から戻ってきた医師も少なくない。新たに救急を勉強したいというスタッフも集まってきている。

救急科専門医になるには、経験すべき症例や、身に付けるべき手技も多岐にわたり、クリアすべき試練も多い。それでも救命救急に携わる医師は少しずつ増えているという。医師の疲弊を防ぐために、交代制勤務など環境づくりも進んでいる。

ドクターヘリの導入効果 命をつなぐスピード

ドクターヘリ

センター立ち上げと同時に導入されたドクターヘリ。最初は救急隊員もヘリを呼ぶのにためらいがあったようで、実際の4月の出動は10件のみ。運航から3カ月経ち、出動も多い日で1日4件と確実に実績を積んでいる。実際にドクターヘリはどのような運航をしているのか?

センターにホットラインで救急隊から出動要請があり、まず運航管理室が天候を調査、飛べるかどうかを判断する。通報が入ってから離陸するまで約6分。

「宮崎県内であれば110キロ圏内ですので、30分で到着できます。宮崎の一番遠いところでも通報から40分そこそこで、ドクターが診察に入れるというのが大きいのです。」

ドクターヘリを必要としている患者には、転落や交通事故など外傷を伴っている場合が多くあり、状態によっては診療科をまたがるため、なかなか受け入れ病院が見つからない状況がある。そういう患者こそ救命救急センターに運んでほしいという。

「ヘリが行かなかったら、亡くなっていたかもしれない、という患者さんもいました。工事現場の機械の事故で顔を挟まれ、口腔内出血で窒息しかかっている状態だった方が、ヘリコプターで10分、ドクターが到着してすぐに気道確保して搬送。その患者さんは歩いて帰れるぐらいに元気になりました。もし、処置が遅れて気道確保できていなければ助からなかったかもしれません。救急車で宮崎市内まで搬送したとすると、1時間はかかっているところでしたから。」

宮崎の救命救急医療の未来の姿とは?

落合 秀信氏
落合 秀信氏

まずは各拠点の病院に救命救急センターができること。そして救急専門の医師が充実してくること。ただ、マンパワーは、すぐに増えるものではないので、病院同士の役割分担が必要で、例えば地域の拠点となる病院がER方式をとり、そこである程度の急患の初期治療を行う、より高度な医療設備や手術が必要となれば大学に送ってもらう。県北、県南、県西部などの、2次拠点病院でも救急の患者さんをどんどん受け入れ、ヘリを要請してもらうというようなシステム、連携を強化したいと思っています。

マンパワーの強化については、宮崎で救命医として働きたいと思っている医師もいるはずで、その受け皿に大学病院がなれればと考えている。例えば、センター設立とドクターヘリ導入に尽力した金丸医師もその一人で、10年近く地域医療に携わった経験を持ち、いろいろな症状を診ているので初期診断の能力も高いし、緊急事態への対処も身に付いている。そして何より救命医としての熱い思いを持っている。そんな医師たちが宮崎に徐々に集まってきている。

救命医に必要な資質とは、目の前に人が倒れているという状況で、それがどんな疾患であっても緊急性のある患者さんに対し、すぐに初期治療ができて、完結はできなくても、急場をしのぐ能力があること。センターでは大学病院ということもあり救命医の人材教育にも注力しているが、それでも初期診断の感覚はそう簡単に身に付くものではないという。

「大学病院には重症の患者さんしか来ませんから、たとえば大学で重症救急患者さんの治療を3カ月研修したら、夜間急病センターなどの一次救急施設で発熱などの一般救急患者さんの治療に当たる、ER型の病院も経験するといいし、地域の中核病院でも勉強する、いろいろな環境の中でしか体得できない感覚があります。現場では、いろんな分野を知っていなくてはならないし、緊急の患者さんがほとんどで、精神的肉体的につらいこともあるでしょうが、自分が最初に診て治療した患者さんが快方に向かっていく、そういった姿を見るたびに、救急というのは、すべての医療の原点だろうと思うんですよ。だからこそ、患者さんに真摯に向き合う心が必要だと思っています。」

また、落合医師は、救命救急センター同士の連携も視野に入れている。

「たとえば、拠点病院ですべての患者さんを受け入れるER方式をとるとするなら、大学病院では2次3次の重症患者さんを受け入れるという体制をとることも可能です。県北の拠点として、延岡にもう一台ヘリを配備できると15分圏内で県北全体をカバーできる。それにまだ、県内に救急車が来ない地域があるんです、常備消防が設置されていない町村もあります。ヘリの機動力を生かして、それらの地域偏在の問題も解消したい。そして、もう少し人が増えたらドクターカーも導入したいと思っています。どちらも現場に医師を運んで素早く処置に当たることで、少しでも命の救える可能性が増やせるなら、と思っています。ドクターカーは、県立宮崎病院でも導入を検討しているようです。」
と、センター運営のみならず、宮崎の救急医療体制の未来に思いを馳せている。

落合教授の解説によるアメリカと日本の救命救急事情

アメリカと日本の国旗

アメリカの救命救急は、北米式のいわゆる「ER(Emergency Room)システム」で、重症軽症問わず、診療科も問わず、集約型ですべての患者さんが運ばれてきます。まずナースの問診でトリアージというのですが、優先度が決められます。重症だったらすぐ観てくれますし、軽い場合は4時間待ちといわれたり、とはっきりしています。そして診たドクターが応急処置をして振り分けていくのですが、ERのみではすべての治療完結はできませんので、そこから専門の診療科の先生を呼んで治療するというシステムになっています。
日本では救命救急センターの型が3種類あります。ひとつは、アメリカと同じ急患すべてを受け入れるERシステムを採用しているところ。一方で、はじめから2次3次の重症の救急の患者さんだけに特化して受け入れる方式。もう一つは救急センター自体にいろんな診療科を持っていて、頭の疾患であれば最初から脳外科の医師が入っていって、心臓疾患の患者さんが運ばれてくれば循環器内科にというふうに各科乗り合い型で運営を行うタイプもあるんですね。

最後に先生にとっての医療とは?

終りのない心・技・体・学の研鑽 小林市立病院 消火器外科・腫瘍外科 医長 落合 秀信

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