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高橋 幸宏 氏

Don't think, Feel.「考えるな、感じよ。」のチーム医療

榊原記念病院では、年間1500件以上(2012年実績、心臓カテーテル836件・心臓外科手術1410件・ペースメーカー260件)の心臓外科手術を行っている。高橋医師の率いる小児班チームは、毎年500件以上の小児心臓血管手術の実績を持つ。一日に複数こなさなければならないスピードと、患者の負担の少ない低侵襲の手術の実現には、チームビルディングにその本質があった。

プロフィール

日之影町出身、延岡高校卒業。昭和56年、熊本大学医学部を卒業し、熊本赤十字病院での研修医時代を経て、榊原記念病院へ。心臓血管外科医としてひたすら手術の日々、ゴッドハンドと称されるまでになる。小児用の超小型人工心肺の開発や、手術チームの医師・ナースの人材育成の取り組みへの評価も高い。

自然に育まれたコミュニケーション能力

高橋医師1

幼少期はかなりやんちゃだったという高橋医師。中学・高校は県内有数の進学校にすすみ、実家は呉服商だったが、医師になる以外の進路は、まったく考えもしなかった。

「体が大きかったので、いつのまにかガキ大将みたいな立場になっていて、仲間を引き連れてわいわいするのが好きでした。大学時代は軽音楽部のバンマスをやってましてね、バンドって、それぞれがその場で自分の役割を感じることで、いい演奏ができるんですよ。そんな青春時代が今のチーム作りに役立っているのかも。」

と微笑む。仲間には上下関係がない。教えるでも教えられるでもなく、同じ時間と空間を共有することで、ルールとコミュニケーションが出来上がっていく。

スタート地点での体験が試金石

高橋医師2

医師としてのキャリアは熊本赤十字病院での全科ローテート研修から始まった。

「まず自分で考えろという指導でしたね。皮膚科を回ったときは、いきなり手術しろと言われて驚きました。先輩医師が丁寧に教えてくれるということもなく、患者が来ると一斉にスタッフが集まってきて、そこに自分も入って手術や治療が始まります。それが当たり前の環境でした。」

研修医生活を終えると、もともとの希望であった心臓血管外科の世界へ飛び込んだ。榊原念病院、日本の心臓血管外科のパイオニアである榊原仟医師が発起人の日本心臓血圧研究振興会の臨床研究施設が立ち上がったばかりだった。

「ひたすら手術の日々で、緊張の連続でした。」

胸骨を切って心膜を開く。大動脈遮断、巾着縫合、人工心肺に透析、すべてが真剣勝負。徹底的に手技を鍛えあげ、自ら人工心肺装置も開発した。それは全て患者にとって負担の少ない低侵襲の手術を実現するため。心臓血管外科の手術は、30年前と比べて数は3倍と需要は増え続けているが、逆に掛かる時間は3分の1となっている。

「分離型人工心肺を導入してからは手術時間がかなり短縮されました。かつては1日がかりだった手術も、早く終われば、1日に2回できるようになります。」

とこともなげに語る。高橋医師は、いかに患者の負担を減らすかに注力し、小児循環器医療における榊原記念病院の役割を「一生懸命」ではなく「一所懸命」と断言する。この病院に運ばれるからには、決して断らずにすべて受け入れる。それを実現できるだけの体制と技術は、自らがここで作り上げるというプライドには揺るぎがない。

「考えるな、感じよ。」

高橋医師3

通常、手術チームは3人の執刀医と麻酔医、看護師、技師で構成されている。全員がプロフェッショナルとしての技能と知識をもって手術に臨む。専門化・高度化する医療において、各々のスタッフの役割も細分化しつつある。チーム医療の重要性はますます高まっている。

高橋医師は、チームビルディングの方針として『ノン・テクニカル・スキル』という言葉を掲げている。手術室では言葉や行動を超えたところで、自らが何をすべきかを全員が感じている。

「執刀医として手技はすべて反射的に動けるようになるまで繰り返すしかないんですが、看護師や心肺技師との連携も同様です。全員が同じ呼吸で動けなければチームとして機能しない。考えるのは当たり前、考えるな、感じよ、なんです。」

それは、榊原記念病院の外科研修制度にも貫かれている。高橋医師も、かつてほど執刀医として立つことはなくなり、次世代の指導にシフトしている。

「スタッフには常に感謝しています。新人にとって居心地のいい病院を作りたいんです。研修医には、心臓血管外科の魅力を存分に伝え、極力自由を与えて、雑用はさせない。なによりも手術の現場に立って、点と点を繋いで線にする修行があってはじめて、医師が育つ環境となる。それには、チームで共有する「当たり前」のレベルを上げておくことが大事なんです。実際、研修医は看護師に様々なことを教わって成長します。医師だけでチーム医療が行われているのではないことは、手術に入れば誰もがすぐに感じとれると思います。」

医師として初めて出会ったものが最高の環境であれば、それが彼らにとってのスタンダードとなる。それが、ここでの「当たり前」なのだ。

地域医療を支える人材育成講演会

今回、講演の行われた延岡市は、行政・医療従事者・市民が一体となり地域医療と健康長寿のまちづくりに取り組んでいる。その一環としての医師やコメディカル、医学生を招いての講演会も回を重ね、中高生世代からの人材育成にも積極的に取り組んでいる。

地域医療を支える人材育成講演会様子

高橋医師の医療への思い

自分の目標を定めて、その環境で感じられるもの全てを糧にして、医師としても、人間としても成長してほしいですね。

宮崎から医師やコメディカルスタッフを目指す人が増えるのを期待しています。今、地域医療で活躍している先生たちを中心に据えて、地域医療は楽しいというメッセージを発信し続けてください。若い先生たちはなかなかひとつのところに長く居るのは難しいかもしれないので、きっかけはローテーションでもかまわないんです。

その中で地域医療の担い手が自然と生まれるような雰囲気を行政と住民とで作り上げる。宮崎は東京と比べて物価も安いし、環境もいい。地域医療のスペシャリストにはきちんとした役職と報酬制度をちんとした役職と報酬制度を整えると、よりやりがいを持って働けるはずです。

そしてこれは、宮崎だからこそ実現できると思っているのですが、患者さんと協力して、徹底的に医療費を下げることですね。医師の負担を減らして、無駄に病院に掛からない。宮崎県が日本で一番医療費が安い県ということになれば、全国から注目の的ですよ。

最後にもう一つだけ。長らく、医師をやってますが、人が亡くなるってことには慣れない。いつまでもつらいものです。20代で医師になり、一人前になるのに15年はかかる。その間に苦しいことは何度もあります。その心を支えるのは、やっぱりそばに寄り添う家族なんです。

最後に先生にとっての医療とは?

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