宮崎県出身。長崎大学医学部卒業後、1981年、宮崎医科大学第二外科に入局。千代田病院、宮崎市郡医師会病院、西都医師会病院、田野町立病院を経て、県立日南病院へ。常に患者の気持ちに向き合うことをモットーに、外科医として日南の地で約20年。日々臨床にたちながらも副院長として病院運営にも携わる。
日本外科学会専門医/日本消化器外科学会認定医
2年間の初期研修のうちは、まだどのみちに進むかわからないわけですから、ここで外科の技術を覚えることまでは求めていないんですね。もちろん興味がある人には技術を身につけてもらってよいのですが、それよりも診断ができるようになるかどうかを重視して指導しています。
夜の当直や、あるいは田舎へ行って、自分一人で急患に対応しなければいけないような状況で、明日まで待って大丈夫な患者さんなのか、それとも、ドクヘリでも救急車でも飛ばしてすぐに搬送しなきゃいけない患者さんなのかの区別ができるようになる、というのを一つの目標にしています。
少なくとも県立日南病院の外科で扱っている腹膜炎や胸部外傷、腹部外傷ですぐに専門医へ送らなければいけない状態なのか、一晩様子を見ていいのか、そこの識別ができるようになれば、十分です。こればかりは経験を重ねて、患者さんを診た数だけ覚えるものです。
誰だってはじめは不安です。私も医師になって1年目の時、当直に行く前には先輩医師に聞いて、腹痛の患者さんが来た時はこの薬とか、頭痛にはこの薬とかの処方を、メモを取って臨んでいたものです。分からないときは当直先から大学の医局に電話してもいいからという風に教わっていましたが、不安の解消のためにも必死で覚えました。
また、いろんな年代やさまざまな症例の患者さんに対峙して、検査結果の数値だけではなくて、お腹を触った感触だとか、患者さんの痛がっている表情だとか、そういうのも含めて場数を踏んでいくしかないと思います。
特殊な専門病院では、特定疾患の患者さんしか来ませんので、医師としてどんな症例でもひとまず識別できるようになるためには、若いうちにあえていろいろな患者さんが来る病院を研修先に選ぶのもいいでしょう。
現在の外科は医師5名の体制で、私と外科部長が50代で、あとは40代から20代まで各年代に一人ずつです。県立日南病院は本来2次病院なのですが、地域の事情もあり、緊急はすべて受けていました。一般の方には1次・2次の区別はわからないですから。
しかし、ピーク時の平成15年に比べると時間外の急患の数は半分になりました。市の広報や医師会の協力で、市民の意識向上が進み、病院へ来る患者さんへも前もって電話をいただくようにし、経験の豊富な看護師が電話でトリアージするという仕組みを導入しました。
患者さんや親御さんの話を聞いて、すぐ来てくださいとか、朝まで様子を見ましょうという取り組みを始めたところ、徐々に時間外の急患数が落ち着いてきたのです。しかも総数としては減りましたが、2次の患者数は変わりませんので、相対的に1次が減って2次救急により集中できるような状況になったと言えます。
また、3年ほどまえには南那珂医師会に夜間急病センターができ、19時から22時までは内科と小児科の急患を受け付けるようになりましたので、これも大きいと思います。日南市全体で、医療への意識向上と機能分担が進んできたと感じています。
当直の医師の負担も少しずつですが軽くなっています。しかし、まだ当直明けの通常勤務や連続当直という実情もありますので、今後医師の数を増やして、より働きやすい環境にしていきたいと思います。
県立日南病院は、基幹型臨床研修病院でありながら、協力型としても研修医を受け入れています。ほとんどの診療科がある総合病院で、コモン・ディジーズを診る第一線の病院として、救急も外来でも患者さんが多く、さまざまな症例に接する機会が多くあります。
医局の中はそれほど規模が大きいというわけではありませんので、他の診療科の先生たちともコミュニケーションが取りやすい環境です。救急に運ばれてきた患者さんのその後の経過も見ることができますし、自ら望めば治療や手術に入らせてもらうこともできます。
当直には常勤と待機の医師が付いていて、急患にはその専門医が対処しますので、外科以外の検査やオーダーも覚えられます。救急の経験を積みたい研修医にも適した環境です。
今は病院自体が高台に移転して、施設も設備も整っていますが、19年前の病院は、建物も老朽化していて手術室には雨漏りも発生しているような状態でした。壁も薄くて隣の声も漏れ聞こえてくる。一番びっくりしたのは病室が12人部屋だったことですね。プライバシーも何もない。あとは・・・カニが病院内を歩いていましたね。当直の時に夜中にカサカサ音が聞こえてくるんです(笑)。
また、日南は海の幸が美味しく、指導医や研修医の先生たちも交えてよく出かけています。面倒見のいいスタッフが揃っています。気候も人も温かく、スタッフであれ患者さんとであれ、コミュニケーションも取りやすく、医師としてスタートしやすい環境だと思います。
どこでもそうだと思うのですが、若い人材がいないと活力が湧かないのです。来年は臨床研修医が4人入ってくる予定ですので、病院自体も大きく変わるのではと思っています。臨床研修医も大切な戦力だと考えています。確かに初めは何もできないで手間取ることもあるでしょうが、1~2か月もすると、できることも増えてきますので、早めの指導をして早く戦力になってもらうことを方針にしています。病院にとっても研修医にとっても指導医にとっても相乗効果でより良くなっていくことを期待しています。
私は長崎から帰ってきて宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)の第二外科の古賀保範教授のもとで研修をはじめたのですが、医師として一番影響を受けた先生だと思います。常に物腰柔らかく言葉遣いも丁寧で、後進の指導も、自らの研鑚も怠らず、その先生の人柄や診療態度に感銘を受け、今でも自分の臨床医としての理想です。
患者さんには、まず気持ちで向き合うこと。どんな患者さんも病院にかかるとなれば不安なわけです。最初は手術や治療の説明よりも、どうすればその患者さんに安心してもらえるか、不安を取り除けるかということを一番に考え、言葉の掛け方一つで気持ちが大きく変わりますので、できるだけ患者さんが落ち着けることを心掛けて向き合うことが医師になる第一歩です。
最後に先生にとっての医療とは?