- 宮崎市出身。
- 1987年、宮崎医科大学卒業後、宮崎県立宮崎病院臨床検査科、宮崎医科大学第1病理
- 2000年4月から宮崎県立日南病院
- 2003年から地域医療連携業務に携わる
- 専門分野:外科病理、細胞診
- 日本病理学会専門医
- 日本臨床細胞学会専門医
- インフェクションコントロールドクター(ICD)
県立日南病院では、2003年に当時の柴田紘一郎院長の下、医療連携室を新設。白羽の矢が立ったのが木佐貫医師だった。
「病院機能評価で継続的な療養環境が提供されていないという指摘を受けたのがきっかけでした。そもそも、退院した患者さんをかかりつけ医のもとに戻すという考え方があまりなかった時代でしたし、紹介状を書いた患者さんが、別の病院でどうなっているのか分からないという状況でした。医療連携室の担当になったのは、赴任した年からこの南那珂地域の医師会に理事の1人として参加していたので、地域の病院や開業医の先生たちと顔なじみだったというのが理由でした。」
看護部から配属された看護師主任と相談員との3人体制で医療連携室はスタートした。
「県病院という行政組織の中で、急に新しい科が増えて人員が増えるなんてありえないことで、当初は非公認の部署でした。立ち上げに際しては、院内の先生たちからは不要論が上がり、医師会に協力を求めれば怒られ、開業医の先生たちからも苦情を言われるなど、苦労ばかりでした。まあでも新しいことをするというのは、そういうものですよ。」
患者紹介の前方連携を中心とした医療連携は全国的に増えつつあったが、日南病院では、立ち上げ段階から後方連携である退院調整を中心として取り組んでいるという点でフロントランナーとなっていた。
「今でこそ平均入院日数は20日以下ですが、当時は1年以上入院している患者さんがどの病棟にも何人かいました。その患者さんたちが家に帰れない理由を調査して、その状況を解決できれば、自宅や近くの病院に移れるのではないかという思いから退院の支援を始めました。ところが、在宅医療で酸素療法を実施したいのだが、機材をどこに頼めばいいのか、院内では誰も分からな いといった状況だったんです。」
医療連携室を作ったことにより、徐々に外部との交流が生まれ、具体的な依頼先や医療資源の使い方などを含め、さまざまな情報が集約されてきた。医療連携は、医師同士でお互いに依頼し合うという昔ながらのコミュニティの醸成も大切だが、多職種間で高度なリレーションシップを持つことでより強化される。
「訪問看護ステーションの看護師やケアマネージャー、薬剤師、歯科医師など、いろんな職種の人が毎月集まっている『日南在宅ケア研究会』という在宅医療に関する勉強会が、もともとあったんです。そこでいろんな職種の人たちの話を聞くことができて、顔見知りになっていったというのが大きかったですね。少しずつ退院調整もできるようになってきました。」
他の地域でどのような取組みをしているのかを学ぶため、全国の学会や勉強会へ精力的に飛び回り、2年目からは事例発表も行った。すると、さらに全国から多くの知見が集まってきた。地道な取組みを始めてから3年、県に医療連携科の設置が認められて正式な部署となる。スタッフは4人に増えたが、苦労の連続だった。
「県立病院に救急車で患者さんを送ったけれど、断られたという苦情を受け付けたことがありました。その日その時間に、院内で何が起きていたのかを調べてみると、救急車がすでに2台入っていてスタッフの手が足りない状態なので、悪いけど他を当たってみて、駄目だったらもう一度連絡くださいという返事をした状況だったことが分かりました。それでも、相手方にはただ断られたとだけしか伝わっていないこともあるんです。医療連携科の仕事は、一つ一つの間に立って事情を伝達して理解をいただくこと、その積み重ねですね。」
日南・串間は山と海に囲まれて独立しており、このエリア内である程度、生活が完結している。医療も一定レベルまでは、地域完結型の医療を提供することを目標としている。病院は12、診療所は約50。県立日南病院はウォークインから、かかりつけ医に紹介されてくる高度医療の患者まで受け入れているが、大切なのは、地域における存在価値だと木佐貫医師は語る。
「僕が赴任してきた当時は、毎年赤字の病院でしたから、そんな病院が生き残るためには、何らかのコンセプトが必要だと考えました。『地域のための県立病院』というスタンスで、みんながこの病院で働いて良かったと思える病院にすることです。仮に県立日南病院が廃止になるとなったら、地域住民から轟々たる反対運動が起きるような存在になっていないと駄目だという思いで、連携の仕事をしています。」
地域の看護師や福祉施設スタッフのレベルアップのコーディネートも、医療連携科の仕事。最新の医療情報や基礎的な医療技術のレクチャー、感染対策や褥瘡(じょくそう)などの研修会を行うことで、各施設での管理・予防が進み、地域の医療レベルが上がることは、県立病院にとっても負荷を減らすことにつながる。
「連携推進は、コツコツとヒットを打っていくようなものです。少しずつ実施してきたことが、気が付くと、大きく変わっていたり、5年前よりましになっていた、という感触で、一気に変わるものではないですね。僕は、病院内にいて、実際の連携の現場に出ているわけではないので、現場から入ってくる情報を集めて判断して、それを全国の場に出ていって共有するということを繰り返しています。」
「当初、患者さんや家族に対しての啓発活動はしませんでした。病院同士や院内の診療科同士、医療スタッフ同士の連携が取れていないのに、患者さんに医療連携のことを話したところで何の意味もないんです。患者さんに対してのアプローチより、医療スタッフ、介護スタッフとの連携が先だと考えていました。」
2013年に日南市に地域医療対策室が設立された。行政・市立病院・県立病院の垣根を越えて、アイデアを共有し、地域医療リーダー養成講座「日南塾」や地域医療シンポジウムの開催など、にわかに活性化してきている。
「日南市に地域医療専門の部署ができたことによって、僕たちの持っているアイデアを事業化できて、一気に進み始めたのがこの2年間です。夏休みには高校生向けのメディカル・サイエンス・ユース・カレッジを3日間開催しました。1日目は、日南の地域医療や介護のことを学ぼうという講演と職種紹介。医師や看護師だけではなくて、栄養士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、放射線技師など、なるべく多くの職種の人に自分の仕事の魅力を熱く語ってもらいました。2日目は各病院の見学で、3日目は、それぞれの病院での体験を持ち帰って、グループワークでどんな医療者になりたいのかを考える機会を持たせるという企画でした。高校生たちに一番伝えたかったのは、病院の仕事は多職種のみんなの力で成り立っているということ。その中で医師になりたいという人もいれば、知らなかった職種に触れて、理学療法士や臨床検査技師になりたいとか、いろいろな可能性を感じてくれればいいんです。」
地域医療の課題の一つに人手不足がある。宮崎県内では、学べる場所が限られているため、医療を志す人材の流出に加え、戻ってくるにもポストがないという現状がある。
「医療の道に進んだ高校生100人のうち、一人でも二人でも戻ってくれば、それは大きな力になります。そのためには、地域に対する愛着や、戻ってきたいと思わせる魅力が必要です。今、地域で働いている人たちの活動をしっかり伝えることも大事で、地域でできるやりがいとか、ここで働いていて良かったなと思える体験を共有していかなければいけないなと思っているところです。」
病院でも縦割りのマネジメントは立ちゆかなくなっている。組織を横断するクリティカルパス、感染対策、褥瘡(じょくそう)対策、医療安全などの多様な横串が存在し、それが機能している病院でないと生き残れない。県立日南病院では、基幹型と協力型を含め、常時10人以上の研修医がスタッフとともに多職種連携でチーム医療に取り組んでいる。
「田舎の総合病院には、もともと各診療科も職種の違うスタッフ同士も仲良く協力できる環境があります。そこに初期臨床研修の先生たちがローテーションで回ることで、さらに垣根が無くなって、とても良いサイクルになっていると感じます。若い先生たちのおかげで病院全体が活性化しますし、マンパワーでマネジメントする力も付いてきました。」
日南市全体で、多職種のスタッフ同士が情報交換や発信ができて、医療や介護、生活支援について自由に話し合う環境が生まれつつある。『Net4U』という医療と介護の情報共有システムの導入や、市立中部病院の在宅医療・介護連携推進室が立ち上げたケアカフェの参加者も増えている。
キーワードとなるのが、地域デザインやコミュニティ・デザインという考え方だ。
「日南塾では、地元の医療者と非医療者が半々で集まって、子育て・看取り・地域包括ケアをテーマにグループワークで話し合い、市長にプレゼンするという企画をしました。市の事業に採択されれば、さらにいろんな人が関わってきますので、こういう場での積み重ねが将来の日南の医療の基盤になっていくと信じています。」
日南市では、まちづくりの一環として古くからの商店街のリノベーションを進めている。『あぶらつ食堂』や『油津Yotten(よってん)』を中心に、親子孫の多世代が交流できる場を設け、商店だけでなく、情報発信の拠点としても生まれ変わった。
「今後は商店街とのコラボ企画で、コミュニティスペースを活用して、多世代交流をベースにした地域包括ケアを展開したいと考えています。医療や介護に限定せずに、鉄道模型の運転会や餅つき大会など、いろんな人が役割を持って楽しく参加できるようにすることで、おばあちゃんたちの「また来年も!」と1年元気に過ごす生きがいにつながったり、子どもたちが地域に対して誇りや愛着を持てるようになります。どこの地域でも開催しているイベントをうまく地域包括ケアの一部として取り入れて、医療者も病院から街に出掛けていけるようにしたいです。高齢者の健康寿命を延ばしながら、地域で働く医療者も増やすという循環を創っていければと思います。」
地域社会とつながることが、病院にとっても、医療者にとっても、やりがいと幸せを育む。医療や介護の枠を超え、地域の暮らし全体を見据える木佐貫医師。医療連携からまちづくりのフロントランナーとして、活動の幅を広げている。