宮崎西高等学校卒、筑波大学を卒業、1990年よりアメリカに臨床留学し、1995年に米国内科医専門医取得。
帰国後は大学教員として、プライマリ・ケアと地域医療教育に従事。2010年4月からロンドン大学衛生・熱帯医学大学院に留学、MSc(修士号)を取得し、2011年11月より現職。主にヘルス・プロモーション教育とその研究を行っている。
小学生の頃から医師の仕事に憧れていました。シュバイツアーの伝記を読んで感動して、必要とされるところで働きたい、人の役に立つって素晴らしいって。
もう一つのきっかけは、高校2年生の時に英語の弁論大会があって、学校の代表として出させていただいたんですけれど、その時に赤江の養護学校から来ていた同じ高校生で、車いすからスピーチをしていた方がいたんです。
そこで友達になって文通を始めたんですが、人伝に重い病気らしいよと聞いて、ショックを受けました。高校生の私は病気とまったく無縁の生活を送っていて、無限の未来を当たり前のように思って毎日を過ごしているのに、そうじゃない方がいるというのが衝撃的で、自分がそういう人たちのために何かできることがあればと思い、なんとか努力して医学部に行きたいと思いました。
いかんせん頭が文系でして(笑)、理系は苦手なので合格は無理だろうとあきらめかけたこともありました。先生から「あきらめることはない、小論文と面接だけで入れる医学部がある」と教えていただき、佐賀大学と筑波大学(※当時の入試科目)だったのですが、センター試験さえ頑張れば行けるかもしれない、と一念発起して勉強して、筑波大学に入学しました。
医学部に入った当初は、基礎医学の研究者を目指していました。難病だった友人のために何か出来ることはないだろうか、という思いがきっかけでもありましたので、2年生から4年生まで3年間基礎の教室に通いました。実際の研究者の方たちと一緒に過ごし、授業が終わっても夜中まで実験!という生活でした。最終的には、臨床医を目指すことにしましたが、基礎研究の土台は臨床医にも必要だと考え、医学部卒業後、大学院博士過程でさらに4年間基礎医学の研究室で呼吸器の病気に関する研究をしました。
子供が好きなので、最初は小児科に魅かれました。しかし病院実習が始まると、小児科では冷静になれない自分に気が付きました。病気の子供さんと親しくなりすぎてしまって、客観的に考えるのが難しいと感じたのです。どうしようかと考えていたところに、授業でプライマリ・ケアという領域があるというのを知りました。
プライマリ・ケアは、一般内科・総合診療科ともいわれる診療領域です。患者さんの身近なところで、患者さんが問題と感じていることの相談にのり、解決を求めて一緒に歩むというスタンスがとてもしっくりきました。
今では、多くの大学に総合診療やプライマリ・ケアの部門がありますし、日本の研修病院でそれらのトレーニングも受けられるようになりました。
でも私が医学部を卒業した当時は、日本では佐賀大学と川崎医科大学ぐらいにしかその部門がなく、研修の機会が限られていました。それでアメリカで臨床研修をすることにしたんです。
日本でもアメリカでも、診療内容そのものにはそれほど大きな違いはありませんでしたが、医学生や研修医により実践的なトレーニングを提供しているという面で、アメリカの教育研修制度は、日本よりも進んでいたのではないかなと思います。当時1990年代の話ですが。それからアメリカで約5年、教える立場も経験して、いよいよ日本への帰国の準備を始めました。
アメリカで学んだプライマリ・ケアを、教育面も含めて日本に広めていこうという決意を抱いて帰国しました。筑波大学で5年間、学生教育と臨床研修にその一部を導入することができ、その後、縁あって琉球大学に異動になりました。そこで初めて「地域医療」という領域に出会いました。
沖縄で多くの先生の診療の様子を見せていただき、アメリカの大学病院で学んだプライマリ・ケアとはまた違う、離島やへき地の医療現場に触れ、地域医療とは?を考え始めることになりました。琉球大学は日本で初めて地域医療部門ができた大学なんですね。沖縄は離島をたくさん抱えているという状況もありますから。
2005年から、東京大学で国際協力や医学教育を中心に活動させていただいたんですが、地域医療への思いと興味が募っていたところに、三重大学の地域医療学講座からお声掛けをいただきました。
今は自治医科大学の先生たちが書かれた教科書がありますが、その頃は「地域医療学という学問があるのか」と問われるような状況で、確かに学問体系としては明確に存在していたわけではなかったですし、私自身も「やりがいのある地域医療ってなんだろう、きっとあるはずだ」と答えのないまま、考えながらのチャレンジでした。
沖縄でも三重でも、その他の地域でもフロントラインで働いている先生方とお話しさせていただくと、すごく共通するものを感じるんです。同じスピリットだったり、方向性だったり。
だからきっと何らかの理論的枠組みがあるはずだと思ったんですけど、それが何かっていうのを三重大学の3年間で自分自身で体系立てるまでには至りませんでした。
それで、ロンドン大学衛生・熱帯医学大学院に留学しました。国際協力の経験から国際保健にヒントがあると考えたのです。
離島やへき地、途上国、紛争を経験した国の医療から英国のプライマリ・ケアまで並行して捉えてみると、私たちにとって必要な地域医療というものが見えてきたような実感があります。
日本の地域医療の現場でも、海外における国際協力でも、その地域の中にある資源、地域の人の力が活用されなければ続いていかないということがはっきりしています。
支援として、全くそこになかったものを外から持ち込んで、たとえそれがすごくいいものだったとしても支援が終わった時点で無くなってしまう。そうすると支援を受けていた側としては途方に暮れてしまうわけです。
持ち込まれる前は、無ければ無かったなりに積み上げてきたものがあったはずなのですが、いったん支援として別のものが持ち込まれたがゆえに、それが失われてしまって、以前よりも厳しい状況に陥ることがあります。
前号で、吉持厳信先生が、”無料での医療行為の提供は、予防の意欲を失わせてしまうことがある”とおっしゃっていますが、それも同じですね。
そこに住んでいる方たちが必要を感じていることに対して主体的に取り組めるように応援していくことが、その後の持続発展につながるというのが共通項なんです。
ロンドンの大学で専攻したヘルス・プロモーションという領域は、プライマリ・ヘルスケアと繋がる分野なのですが、病気になってから診断を受けて治療する、という受け身な状況から脱して、自分たちで健康をつくっていくという考え方です。
“well-being”という言葉があるのですが、病気を治療してもらうのではなく、自分たちが元気に過ごせるように地域や医療を形作っていく、それは地域住民でないとできないことです。もちろんいざという時の医療も必要なのですが、それだけに頼ることなく健康な人生を歩むというのは遥かに意味のあることだと思うんです。地域で働く医療者たちにとっても、やりがいがあり、無理なく医療を提供し続けていくには、住民の方々の力って大きいと思うんですね。
ヘルス・プロモーションという取り組みの中のひとつに、地域自体が変わっていく(Community Mobilization)、という考え方があります。
地域住民と、医療や保健福祉、教育などに携わる専門家たちみんなが協力しあえると、その地域は力強く健やかになっていく。そういう活動は国内にも増えてきました。私も、そういう仕掛けづくりに携わっていけたらと願っています。
宮崎は、「地域力」という意味では持っているものがたくさんあると思うんですね。医療の分野に限らず、温暖な気候であるとか、豊かな自然とそこから生まれる食材、助け合いの心などの土地柄は、それだけでも大きなアドバンテージがあると思います。
実際、宮崎で暮らせてよかったとおっしゃる方がたくさんおられますよね。
先日も母校の高校生にお話をする機会があったんですが、生徒さんたちから、将来は、地域のために医師になって頑張りたいという気持ちがすごく伝わってきました。地域医療は「地域づくり」「人づくり」ですから、志のある若い世代が活躍できるような場が作られていけば、未来は明るいなと思います。県民の誰もが元気に健やかに暮らせる宮崎に、ますますなっていくのではないでしょうか。