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宮崎生協病院

プロフィール

高田 慎吾

北海道出身。1992年、宮崎医科大学卒業後、鹿児島生協病院、宮崎生協病院のほか、奄美大島南大島診療所などで離島の医療を経験し、2002年より宮崎生協病院で現職。研修プログラム責任者として、後進の指導に当たる。

プライマリ・ケア学会認定医・指導医

中島 徹

宮崎市出身。1992年、宮崎医科大学卒業後、鹿児島生協病院、国分生協病院、川辺生協病院、宮崎生協病院など、民医連の病院の数々を渡り歩き、2000年から埼玉県立循環器・呼吸器病センターにて専門研修。その後、クリニックの所長などを経て、2011年より現職。

プライマリ・ケア学会認定医

【アンガージュマン(engagement)】「契約・誓約・拘束」という意味のフランス語で、知識人が政治や社会の問題に自ら進んで積極的に関わる〈社会参加〉の意味を持つようになった。

医師を志したきっかけは?

中島

戦後、台湾から帰ってきた祖父が、田野町で町医者をしていました。一人で200人ぐらいの患者さんを診る毎日で、疲れ果てて、ついに倒れた時は、間尺に合わない仕事だなとも思いました。

でも、亡くなったときに、町の人が沿道に並んで、延々と見送っているのを目の当たりにして、医療は世に必要とされていて、感謝される仕事なんだなと感動し、医師を目指し始めたのが高校1年生の頃でした。

高田

僕は、高校までは北海道の名寄市で過ごしました。田舎だったので、子どもの頃から病気を診てもらうのは、いつも決まったお医者さんでした。その先生に怪我の手術をしてもらって、幼いながらに医師の仕事のすごさを自ら体験したというのが、医師を目指した理由です。

医学生時代に、離島フィールドという企画に参加して、卒業後は島で診療したいなという思いが湧き、研修の場は離島の多い鹿児島の生協病院を選びました。あの離島フィールドがなかったら、地元の北海道に帰っていたかもしれないですね。

中島

医学部5年生の病院見学で生協病院を訪れた際に、ここで働こうと決めました。単純に患者を診るだけではなく、社会を診るという視点で、生活と労働の場から病気を考えるという立場に共感しました。

暮らしや職場の環境と、病は強い相関関係があります。病気だけを診ていても患者さんは良くならないし、社会の制度が悪ければ、それが良くなるように働きかけるという、社会運動としての医療を貫く姿勢に感銘を受けました。

高田

生協病院では、在宅訪問診察や訪問看護がまだ保険診療になっていない時代から、すでに取り組んでいました。病院に来られないなら、こちらから行きますよと。医師が家に訪問して診察し、看護師が入浴介助している姿を医学生時代に見て、この医療はすごいと感じました。

外来や入院だけでは分からない患者さんの状況が、家に行くと、生活環境や家族の様子など、つぶさに分かります。患者さんにとっては日常ですが、医師にとっては情報の宝庫です。病院ではなく、患者さんの生活に入っていって医療を考えることも、医師として大きなやりがいになるんですね。

当時の研修生活とは?

高田

僕が医師になった時代は、今のように研修が義務ではなくて、努力目標でしたので、自由に行きたいところを選んで研修していました。気に入ったところが見つかれば、そこに骨をうずめるという人も割と多かったように思います。

宮崎生協病院は、鹿児島生協病院の後に開院したという経緯もあり、当時は、鹿児島を基幹病院として、研修の場として宮崎に来る研修医がほとんどでした。卒後研修義務化が始まった年に、宮崎生協病院も研修病院の指定を受けましたが、その前から若手医師を育てる環境はすでにありました。

僕は1年半で宮崎に来ましたが、新制度になる前から、2年間は鹿児島で初期研修、3年目からは宮崎でというように、恒常的に若い先生が鹿児島から研修に来ているような状況でした。

中島

当時の若い研修医は相当鍛えられたと思います。宮崎で救急を受け入れる病院がほとんどなかったので、毎日たくさんの、いろんな症状の患者さんが運ばれてきていました。

患者さんをどんどん持たされて、消化不良のままで終わったという自分の経験がありますので、これからの研修医には、そんな思いはさせたくないなと研修環境を整えました。

高田

僕たちが受けてきた研修は、大工さんの徒弟制度に近いものがあり、先輩の背中を見て、医療技術は盗むものと教わりました。

手取り足取り教えてもらえるものでもなかったですし、質問しても答えてもらえることの方が少なかったですね。当時は辛辣な言葉で怒鳴られて、その後に仕方ないなと教えてもらうというような感じでした。全国どこの病院でも同じようなものだったとは思いますが、スポーツ根性物の世界ですね。

生協病院の研修の特徴は?

高田

卒後研修が義務化されてから、先進的な研修を行っている病院の先生方と話すことが増え、自分自身の経験からも、今までの徒弟制度では通用しないなと思うようになりました。

研修医自らが患者さんの話を聞いて、適切な検査オーダーを出し、診察する。その力が付くまでは、極力受け持ちを少なくして、一例ずつ消化して次に行けるように、振り返りの時間を多く取っています。

中島

初期研修の段階では、指導医とのマンツーマンで、当直にも入ります。
ずっと世代交代ができていなかったのですが、最近、若い研修医が増えてきました。県全体としても、若い先生たちに残っていただければ、戦力になりますし、それぞれの病院も活性化しますよね。

高田

外来研修の最初の1ヵ月は、指導医が後ろに付いて併診します。2ヵ月目からは患者さんへの問診や検査指示を、指導医が隣でカルテをチェックしながら、段階的に進めるように、導入期の教育をしっかりと行っています。

成長速度は人それぞれで、外部の病院の研修でたくさんの患者さんを診て、ぐっとレベルを上げる人もいます。最終的に、3年目の内科研修で足りないところを補うようにしています。

中島

そして、後期研修までの5年間を通じて、クリニックや診療所の所長を任せられるレベルにすることが目標です。もともと、鹿児島では、研修期間が終われば、離島の診療所の副所長を担ってもらって、次に所長をという流れがあります。

宮崎では、都市型診療所を宮崎市内に3つ、延岡市内に1つ持っています。どこでも町医者として、一人前の医療ができるようになってほしいと思って指導しています。

高田

スーパードクターのような特別なエキスパートはいないけれど、地域で働ける医師は養成できているのではないかなと自負しています。気になる症状が出た時にさっと受診できる。そういう病院があってもいいのではないかと。

中島

うちの病院自体が一つの医局ですし、医師も看護師もソーシャルワーカーとも距離が近いです。多職種のスタッフ同士にも垣根がなく、その分、お互い率直に遠慮なく言い合える関係ですね。

高田

もうちょっと遠慮してくれてもいいのにねと、思うときもありますけど(笑)。

生協病院の理念とは?

中島

例えば、胃が痛いという患者さんがやってきます。今どきの胃薬は良く効きますから、胃の症状は良くなります。でも、その患者さんが胃を痛めたのは、一日十数時間の労働が原因だったのに、胃の痛みがとれたために無理して、今度は心臓の発作で倒れました。それでは、この人を救ったことになりませんよね。労働時間の管理や仕事の負担を変えるように指導することが、根本的な治療につながるわけです。

高田

病院にかかって終わりではなく、治療した後も、どうすれば良い状態を保ち続けられるのか。そのためには、個人の努力だけではなく、社会的な環境も変えていかないと難しいという考え方です。

予後の管理から一歩踏み込んだ社会活動もいとわないというのが、独自の行動指針になっています。

中島

誰でも等しく病気にかかる可能性があります。でも、病気になっても、貧しいために患者として病院にかかることができない人もいます。まして、貧困にあえいでいる人は、病気の割合が高いことも分かっているわけです。

社会の貧困が原因ならば、その貧困をなくす努力をしないと、病気の温床はなくならないですよね。

高田

生協病院の理念は、一言でいうと「無差別・平等の医療」。生活の場、労働の場での医療運動も、独自の取組み方をしています。

中島

医療活動においては、生活協同組合からの意見も取り入れますし、地域の人たちが開催している医療や介護の勉強会にも参加します。地域全体の健康管理を考えるのも仕事のうちです。

制度改革の署名活動や、議会への請願活動を行うことも、HPH(Health Promoting Hospital and Health Services=健康増進活動拠点病院)の医師としての社会活動になります。「医師は、変革の志を持った第1級の知識人でありなさい」というのが、理想の姿です。

宮崎生協病院を研修先に選んだ理由

若手医師の声

眞川 昌大 氏
三重県出身。2010年、宮崎大学医学部卒業。初期研修から宮崎生協病院に入職。亀田総合病院で3年間の後期研修を受け、再び戻ってきて、新しい風をもたらしている。

医局が一つだけで、専門科に別れていないので、先輩にも相談しやすく、アットホームで、人間関係のストレスを感じずに研修できそうだなと思いました。

コモンな内科疾患を幅広く、一人の患者さんを継続的に診ることができるので、総合医として力を付けたいと思っていた自分には、良い環境でした。

何より研修担当の先生が「いい研修環境を作りたい」と、熱く語ってくださったことが決め手で、研修だけではなく、ずっと働きたいと思える病院ですね。

専門的に学びたいことがあれば、外の病院での研修も受けられます。3年目の夏に、亀田総合病院でのセミナーに参加しました。同級生が勤務していたので、前日に内科を1日見学させてもらって、その丁寧な診療と教育に感銘を受けました。
その夜に、二人でお酒を酌み交わしつつ、研修に来ないかと誘われ、専門的な研修も受けてみたいと、次の日には研修の担当者を紹介してもらい、翌年からの3年間の研修に行かせていただきました。

医師になって8年目になりますので、指導医講習を受けて、本格的に研修医の指導にもあたりたいと思っています。

研修医の声

堀 竜太 氏
日向市出身。大分大学医学部卒業、初期研修1年目。

高校生の時に、一日医師体験で生協病院に来て、先生方とお話をした時の印象が強くて、アットホームな雰囲気で、コモンディジーズがたくさん診られる病院ということで研修先に選びました。医局の雰囲気も良くて、先生方も親身になって指導してくださいます。

まだ導入期ですが、内科の勉強を中心に満遍なくできているかなと思います。もともと宮崎に戻ってきて医療をしたいと思っていたので、今必要とされている総合診療医の役割が果せる医師を目指しています。

最初のアプローチで患者さんの鑑別ができて、どの専門医にコンサルをしなければならないのか判断できるように、自分のできることを突き詰めていきたいと思っています。

大野 由香子 氏
宮崎市出身。宮崎大学医学部卒業、初期研修1年目。

医学部4年生の時にレジフェアに参加したときに、ブースでお話を聞かせていただいたことが、宮崎生協病院を知ったきっかけです。

その時に、たくさんの写真を見せていただいて、皆さん仲が良さそうで、楽しそうだなと思いました。春休みにも病院見学に伺って、どの先生たちもやさしく、気軽に声をかけてくれて、雰囲気が良く、自分のペースに合った研修ができそうだなということで研修病院に選びました。

ちょっとしたことでも声をかけてくれて、どの先生も研修医を見てくれているという感じがします。

地域に根差した医療に興味があり、人と関わるのが好きなので、患者さんに信頼されるような、心・技・体そろった医師になりたいと思っています。

研修プログラム担当者からのメッセージ

高田慎吾

宮崎は暖かいので、それだけでも生活のストレスが少ないですし、自分のペースで初期研修をしたい方には、お勧めの環境だと思います。

宮崎での研修は導入期と位置付けていますので、ゆっくりじっくり医療に集中できます。力を付ければ、鹿児島生協病院や都城市郡医師会病院などの協力先の病院で、数を追求することもできます。

希望すれば、九州の民医連同士のたすき掛け研修で、北九州の大手町病院でレベルの高いER型救急を学ぶことも可能です。

中島徹

最終的には、一人の人間を診ることを目標としていますので、病気だけではなくて、背景も含めて、患者を診て、家族を診て、地域を診るという考えが身に付きます。

医師という職業には、いろんな指向性があっていいと思っています。皆が僕と同じ道を歩まなくてもいいけれど、地域に密着して医療活動をしたいという気持ちがあるんだったら、ぜひ僕らの仲間に加わってほしいと思います。

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宮崎県地域医療支援機構(事務局:宮崎県医療政策課)
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