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岡山 昭彦 氏

プロフィール

医学部 内科学講座 免疫感染病態学分野 教授
附属病院 膠原病感染症内科 科長
附属病院 検査部 部長
附属病院 感染制御部 部長

医学の道に足を踏み入れたばかりの若き医師にとって 研修期間は、これから進む道を見定めていく大切な時代。 医師として立つその最初の2年間を、 教育のプロの視点から見つめ、指導する。

キャリアのスタートを大切に

熱く語る岡山教授

医師のキャリアはおおよそ40年、ここで過ごす2年間というのはそのたった5%に過ぎないが、最初の2年間というのがとても大事な期間、と語る岡山センター長。

一般的に、卒後研修を行う機関には大学病院と市中病院とがあるが、大学病院の大きな利点として、何よりも掲げられるのが、スタッフが教育のプロであるという点。医学生・院生・研修医を教育してきた長い実績があり、若いドクターをその時期の労働力ではなく、これから長いキャリアパスを重ねて行く職業人として、5年10年というスパンで指導方針を立て、時には悩みの相談にも乗り、解決策を提示する。

卒業してからも医師教育のターミナルとして地域に機能し続ける。そのメンターシップが宮崎大学医学部卒後臨床研修センターの特長であり、魅力の一つとなっている。

まずは社会人として教育する

「私が医者になった頃は、先生や先輩に誘われて医局に入るという感じだったため、いつ社会に出たか分からないような形で医師の人生が始まっていた面があると思います。それに比べて今はマッチング段階で選抜試験や面接があり、社会性やマナーを求められる関門が増えています。それでも学生からそのままそんなに社会にもまれることなく苦労しないで職が得られるという面があり、また、社会人としての一般常識を身に付ける機会が、他の業種に比べると少ない、もまれ方が弱いと思うんですね。たとえ勉強が得意であっても、いろんな人と会って、いろんな本を読んで、いろんな経験をして、人として成長してきているかという点において、まだまだ足りない部分が多いんじゃないか、実際、研修医となり患者さんと対峙して、初めて自覚する人が少なくないと思います。いろいろな患者さんやスタッフに接するときに、もう学生ではない、社会人の一人だということを強く意識してもらうというのがまず第一歩なんです。」

医師としての前に、まず良き社会人たれというのが、教育方針。医師は患者を指導する立場であり、言葉遣いや立居振舞など、信頼してもらえなければ、診療を始める糸口も得られない。最初のオリエンテーションでは、あいさつをするとか、時間を守るとか、社会人としての基本的なマナーから話は始まりそれをベースに医師としての基本的な能力を身に付けてもらうことを考えている。

では医師として基本的な能力とは?

一つ目はアップデートされた知識。医学は常に進歩している。知識面でも技術面でもその最先端がどうなっているかというのを把握していること。これは大学機関という性質上、貴重な症例や研究事例、学会への参加など、その気になれば比較的容易に情報を獲得できるはず。

二つ目は標準的な技術。きちんと患者さんとコミュニケーションを取りつつ問診する、診察するという技術を身に付け、可能性の高い診断を思い浮かべられること。そして、カルテが書ける、採血や注射といった基礎技術。それは何も特別先進的な技術で難しい手術ができるようになるということではなく、誰でもできないといけない技術を身に付けておくということ。

三つ目が、医師としての態度や言葉遣い。

「医師という仕事は、初診でも患者さんの、普通なら初対面の人に絶対に話さないような秘密に当たることも聞きとらなければならないんです。そして診察。これは医師にだけ許されている特別な行為で、患者さんの体に直接触る、それはお医者さんだから許されている、そのことをよく理解して、このような医療行為を行っても不愉快でないという第一印象を患者さんに持っていただくということがとても重要です。そのためには、その人の言葉遣いや態度、清潔感のある服装も含めて、医師としての自分を作り上げる努力が必要なのです。」

最新の知識と、標準的な技術と、患者から見た信頼感。医師として重要な三つの能力を研修医の2年間で確実に身に付けること、これが目標としているところであると語る。

自ら組んだ研修プログラムで成長せよ。

宮崎大学医学部附属病院の研修プログラムで最も特徴的なのが研修医が自ら研修病院を選ぶという点で、自主性を重んじた選択の中で、大学病院内と市中病院がほとんど1:1の割合で構成されていく。宮崎県下45の協力病院・施設の中から自由にチョイスして研修先を申請し、大学病院内しかローテートしないプログラムは誰も組まない。

「県内の病院・施設が非常に協力的です。3つの県立病院、国立病院、地域の市町村立病院、それ以外に私立の病院やクリニックにも行けるようになっていて、本人の志向するいろんな規模の医療の現場を見ることができるんです。」

自分の将来像を描く時期に、理想と近い病院でその実態と実情を知ることができるのは、研修医にとって大きな成長の糧となる。そして、研修先の病院では、素晴らしい医師との出会いが待っている。

「1年目は必修科目が多いので、それほど自由度があるわけではありません。秋に2年目の研修プログラムを組むのですが、その時に、ここの病院が良いとか、あの先生が面白いとか、という情報が入ってくるんですね、2年生から屋根瓦方式に。ベスト指導医賞というのがありまして、2年間の研修が終わった後に、アンケートをとって、どの指導医の先生が素晴らしかったか、研修医の意見を聞いているんです。ベスト指導医賞はもちろん大学病院の先生も多いのですが、それ以外の市中病院の先生がどんどん入ってくるんです。それぞれの病院でどれだけ熱心に指導していただいているか、という一つの証拠と感じています。」

研修可能な病院の情報は、センターからも提供しており、各病院の説明会も実施されている。それに加えて研修医が病院を選ぶ指標になっているのが、2年目の研修医たちが実際に病院を回った感想や体験談などの口コミのリアルな声。自分の方向性にあった病院を選ぶことも、志を同じくする先輩医師の話を聞ける環境もあり、「ベスト指導医」のいる病院には希望者が殺到したりもする。研修医たちの希望を最大限叶えるため、事務作業はまるでピースを組み合わせるパズルのように複雑になる。

「また研修医は、将来の展望や今自分がなすべきことを真摯に自問自答して、悩みに悩んだ結果ローテート病院を選択しています。受入病院の指導医の先生からは研修医に対して、短期間でも何かを吸収しようという積極性があり、研修意欲が高いと、評価していただいていると感じています。」

ハード・ソフト両面強化の成果が。

研修室

ハード面ではまず、研修センター自体の設計を見直し、改築を実施。

「以前はもっと狭かったのですが、いまは明るく広い部屋で、デスクも一人ひとりに与えられています。しかも、ここは病院の正面に位置しているんです。入ってきたらすぐ見えるような場所、いかにも病院の中心に君たちは居るんですよ、と意識できるような場所に作っています。」

ソフト面では「情報」の強化を図った。

「図書、インターネット環境が整っていて、アップトゥデートも院内であれば、自由に閲覧できる、各病棟では電子カルテを使っているのですが、その端末からも分からないことがあればすぐに調べられるようになっているというのは非常にメリットが大きいと思います。」

研修室2

スタッフも充実してきた。専任のシニアスタッフが2人、各科から専任の助教が9人、担任として研修医の何人かを受け持ち、相談を受けたり、研修がうまくいっているかをチェックしたり、二段階、三段階の体制を整えている。

実際、研修医の抱える問題は千差万別。まずは専任の助教が話を聞き、それで解決できないような複雑な問題は、専任のシニアスタッフに、さらにセンター長自らも個人の話を聞いて動くこともあるという。

「専任の助教たちが毎週月曜日に集まってミーティングを行い、そこで出てきた問題を話し合うというようなことをしているんですね。私は年に1回、研修医一人ひとりと面談を行い、『困っていることはない?夏休みは、ちゃんと取れた?』『研修先の病院はどうだった?』など聞くんですね。センターができた初期の頃は、人と人との折り合いの問題だったり、住環境の不満だったり、いろいろ出てきていたのですが、最近では直接話してもほとんど出てこなくなりましたね。設備や環境が完璧というわけではないんでしょうが、私に話すまでもなく、おそらくその前の段階で解決しているのではないかと思います。」

実際に研修医の数は増えている。今年度は特に地域枠の学生の一期生が卒業するタイミングとも重なり、これまでで最も多い数となっている。

「今年はたくさん入ってきたということもあって、指導が薄まらないよう気をつけています。昨年や一昨年と同じように内容の濃い、同じような密度の指導をするという点に一番気を割いています。やっぱり大事なのは、今、研修を受けている彼らが、今の5年生6年生に、入ってよかった、宮崎でよかった、と言ってもらわないことには続かないですから。」

こちらも屋根瓦方式で、研修医と学生の距離も近い。

医師として自立するためには。

「こうなりたいという目標となるような先生を見つけること、だと思うんですね。」

初期研修は2年、その次の段階がある。専門医になるのか、総合医になるのか、医局に入って専門分野を極めるのか、武者修行に出るのか。今後のキャリアすべてを見通すのは難しかったとしても、10年は修業時代として、そのロードマップを考えるための2年間。この時期にメンターと出会えることが先を見通す縁となる。

宮崎のようにへき地が多い状況では病気を治すことに加え、患者の社会的な背景を考えざるを得ないときがある。高齢者の一人暮らしであれば、保健師や役場の人と連携したりと、病気の治療とは異質な、高度な問題解決・調整能力が必要となる。実際に医師となって独り立ちしていくためには必要な能力で、それはやはり初期研修の2年間で身に付けるのは難しい。ただ、そのような問題解決を地域医療では求められるのだということだけでも理解してほしい。

「大学病院は専門医療なのですが、その先端医療を提供して、そこで終わりではありません。その次はどうなるんだ、専門医療プラス福祉制度との連携ということを理解するのに、例えば美郷町や高千穂、五ヶ瀬、串間に行って1、2カ月過ごすと、それが実感として分かるんですね。自分で選んでいった場所で、患者さんにとって何がベストかということを考える。それが医師として独り立ちするのに必要になっていくのです。」

大学病院も地域と密着して存在している。

附属病院外観

「たとえば、入院患者さんに勉強のために学生や研修医を当てて担当させていただくという、なかなか大変なお願いでも、快く引き受けてくださる方がほとんどなんです。宮崎人の人柄ってこともあるのかもしれませんが、研修医の先生にとっては非常にやりやすいのではないかな、と思いますね。」

地域住民にとっては高度先進医療を受けられる場所がある。その安心感と相まって地域住民も大学病院や若い医師に対して好意的。研修医は最初は何も出来ない。失敗もするし患者にとっては頼りない存在であるに違いない。それでも見守る目が優しいのは地域特性もあるかもしれないが、築き上げてきた信頼感というつながりである。

良い医師を育てるために。

研修医

初期研修の2年だけが良ければ、それで良いというわけではない。卒前の教育もしている大学と、初期研修、それからの後期研修へ向けて、ギャップがないように繋いでいく、センターはその橋渡しをするのが役目だと語る。

地域枠の卒業生は今後も増えていき、いわば地元に根付くことを期待されている医師の卵たちが、2年間を経て次のステップへと進んでいく。大学の教員や指導医の先生を通じ、若手の医師が上手く成長できるように貢献したい、と思いは熱い。にこやかに微笑みながら医学生へのメッセージも。

医学生へのメッセージ

岡山教授

医師のキャリアパスというのは、40年ぐらいあるんですね。そして他の仕事でもそうでしょうが、どこかで勉強をやめるというわけにはいかない。キャリアを終えるまで勉強は続きます。初期研修は最初の大事な2年間ではあるけれど、それですべてが決まるわけではありません。自分はどんな医師になりたいか40年を考えた上で、研修先を選ぶ、2年間経った時にまた、選択の時が来るんですね。以前は一度選んだ選択を変えるというのは難しかったのですが、今はそんな時代でもないので、とにかくやってみて、別の道に変えても遅くはないんです。

宮崎は生活環境も、センターの教育内容も、自信を持ってお勧めできます。もし迷っている人がいるなら、今研修センターにいる研修医の先生たちに聞いてみてください。きっと、『ここで研修するのはいいよ!』と言ってくれるものと信じています。県外の医学生の方にもぜひ見に来てもらいたいし、宮崎大学の学生は先輩たちがすぐ近くにいるので、聞いてもらって、自分のキャリアとライフスタイルを考える上で、参考にしてほしいですね。

そして、なんといっても教育のプロであり、遠い将来まで見据えて指導してくれる指導医がたくさんいます。目標となる医師も見つけやすいと思っていますので、ぜひ宮崎に来てほしいと思っています。もしかしたら、この先生についていってみようかなとか、この分野も面白いな、と、ありすぎて困ってしまうかもしれませんよ。

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