宮崎アニメに出てきそうな緑に囲まれた診療所。
この地に縁もゆかりもなかったベテラン医師が、終のすみかとして選んだ場所は串間市市木。
海まで車で5分だけれど、一番近いスーパーマーケットまでは30分の道のり。
医師にとっての新しい生活は、地域住民にとっては希望の光。
人の輪と和をつなげる木村医師の物語はここから始まる。
きむら よりお/福岡県福岡市出身
1979年鹿児島大学医学部卒業後、九州大学病院の第2内科に所属し、福岡県内各地の病院で臨床医として従事。その後、沖縄に移って15年を過ごす。最愛の妻の闘病のため、福岡に戻って最期をみとった後、セカンドライフを求めて2017年に宮崎県串間市へ移住。一人診療所の医師として地域医療に情熱を注ぐ。
高校卒業後は工学系の進路を考えていたのですが、受験の年に自治医科大学が設立されたんです。
その募集要項を見ていて「人間味のある医師を育てる」という理念に共感しましてね。医師という職業もいいなと思ったのがきっかけです。
1年間浪人しましたが、何とか鹿児島大学に入学できました。
「人を診る」医師になりたいと考え、内科を志望しました。鹿児島大学卒業後、縁があって、九州大学の第2内科に入りました。『久山町研究(※)』という長期間の疫学調査で世界に冠たる成果を挙げ、今でも優れた研究調査を行って、新しいデータを発表し続けています。
※編注:福岡県久山町の地域住民を対象に、日本人の脳卒中の実態解明を目的として始まった。
研修の1年目から、いきなり主治医として処方したり、治療計画を自分で立てたりするような時代でした。新卒の私を含めて内科医5人の小さな病院で、先輩医師のチェックを時々受けながら、多くの患者さんを主治医として診ていました。
2年目には、大学に戻り研修を受けました。前の病院では看護師さんがやってくれていた採血や、他科の検査の段取りなども自分ですることとなり、受け持つ患者さんは少なくなったものの、帰宅時間は遅くなり、出勤時間は早くなりました。一番忙しい時期だったと思います。
3年目に、第2内科の高血圧研究室に入りました。研究をしながらも、病棟担当がメインでしたので、高血圧が原因で起こる脳出血や心疾患など、難しい患者さんを診る機会もありました。その後、6年目までは、医局の派遣で福岡県内のあちこちの病院に赴任し、いろいろな経験をしました。
7年目、医局の先輩が琉球大学で教授になったのをきっかけに、そのお手伝いとして沖縄に行くことになりました。2年間の予定だったのですが、結局15年いましたね。その間、学生に講義をしたり、沖縄県における脳卒中や心筋梗塞の疫学調査をしたり、論文を書いて博士号も取りましたが、やはり内科の臨床が中心でした。
沖縄に居る時に、妻ががんを患って手術を受けました。本人の体調面や、子供がまだ小さかったこともあって、福岡に戻ることにしました。手術のかいなく、妻のがんは再発し、亡くなってしまいましたが、その厳しい闘病生活を家族として少し支えられたかなと思っています。
高校生で自治医大の学校案内を見て以来、ずっと地域医療への思いがあって、60歳をめどに、キャリアの最後の場所として、地域の診療所の医師になろうと決めていました。実際には62歳になってからでしたが。体力的にも気力的にも、新しい環境に飛び込んで、新しいことを始めるぎりぎりの年齢かなと思っています。
今後もずっと続けていくとなると、夜に呼び出されることがないよう、時間的に余裕があるようにと考え、無床診療所を探すことにしました。家族や親族にゆかりのある岩手県や大分県で探しましたが、求人があるのは有床診療所だけでした。無床診療所の求人は福島県の西会津診療所と宮崎県の市木診療所の2つだけでした。妻の両親の住む大分と近いという理由もあって、市木診療所に決めました。
平日の朝8時から夕方5時まで、診療所で仕事をしています。7月には県立日南病院から紹介を受け、訪問診療を始めました。串間市民病院の訪問看護スタッフと連携して、患者さんを診ています。
診療所の患者さんが途切れる時間に訪問診療に行くようにしていますが、今後、引き受ける数を増やしていきたいとも思っていますので、午前は外来、午後は訪問診療にあてるなど、時間を決めないといけないかもしれません。
串間市民病院からは、整形外科の医師が応援に来てくれたり、総合診療科の先生と交代する形で、私が串間市民病院内科の外来を担当したりもしています。地元の小学校からのオファーで、PTAの方を対象に『病気と闘う』をテーマに講演したり、小学5、6年生を対象に『がんの予防』という講義をしたりと、診療時間外で、地域住民の方と接する機会も増えてきました。
実際に診療所で働いていて、医療機関同士の連携や、人員体制をもっと強化しておく必要があると感じます。市木診療所での処置が難しい患者さんは、同じ医療圏の中核病院に紹介して受け入れてもらっていますが、その人員が充実しないと、診療所は成り立ちません。
県立日南病院や、日南市立中部病院、百瀬病院、串間市民病院など、それぞれの病院で頑張っている先生方が、もし一人でも倒れたり、いなくなったりしたら、どこもあっという間に苦しくなってしまうぐらい、ぎりぎりの状態で働いているように思います。
将来的にかかりつけ医の制度が進むと、診療所でフォローする患者さんも増えてきます。今のところ、市木地区の高齢者は元気で、自分で車を運転して受診できる方が多く、訪問診療の需要はまだ少ないですが、いずれ認知症や寝たきりの患者さんが増える可能性はあると思っています。
もし、かかりつけの患者さんや訪問診療の患者さんが夜に悪くなった場合など、地域の中核病院に緊急対応をお願いすることもあると思います。中核病院に余裕がなければ、その受け入れも困難になります。地域で医療の提供を維持するため、私の次に来てくれる先生のためにも、中核病院の充実は必要です。
地域の開業医の先生方との連携も大事になります。地域の医師会の集まりにはできるだけ顔を出し、いろいろなことをお願いできる良い関係を築いていくようにしています。
診療所の隣が医師住宅なので、ご飯は三食とも自分で作っています。庭に猫が遊びにくるので、エサは常備しています。夜の空いた時間は、地域の体育館のバドミントン教室にも参加してみたいし、休日はマリンスポーツにも挑戦してみたいですね。サーフィンは難しいかもしれませんが、カヤックならなんとかできそうかなと思っています。
ドライブや散歩の時に、きれいな風景や野の花の写真をよく撮っています。日南の海岸線はきれいで、特に南郷の道の駅、有用植物園からの景色はすてきですね。高千穂にも行きましたけれど、高所恐怖症なので、落ち着いて景色を撮る余裕はありませんでした。
私はずっと内科医としてやってきて、専門分野といえるようなものはないのですが、地域に飛び込む意欲と熱意さえあれば、どうにかなるものですね。地域ではいろいろな患者さんを診ることになります。一人一人と丁寧に向き合うという意識で働いていれば、地域に出ても大丈夫です。
特に、宮崎の方は人柄もよく、穏やかで、医師の話もよく聞いてくれます。時間はたっぷりあるので、ゆっくり話すことができます。市木の患者さんは、7割以上が80歳を超えているので、60代の方が来院されると「若いな~」という感覚ですが、ご高齢でも元気な方が多いですね。
不便なことといえば、スーパーマーケットが遠いことぐらいでしょうか。ちなみに、コンビニエンスストアはもっと遠いです。一人で来るんだったら、買い物の仕方と、料理の腕は磨いておいた方がいいですよ(笑)。